・・・詐偽の全体が発覚すまいものでもない。そこで芝居へ稽古に行く。買物に出る。デルビイの店へも、人に怪まれない位に、ちょいちょい顔を出して、ポルジイの留守を物足らなく思うと云う話をも聞く。ついでに賭にも勝って、金を儲ける。何につけても運の好い女で・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・これらの絵全体から受ける感じは、丁度近頃の少年少女向けの絵雑誌から受けると全く同じようなものである。帝展の人気のある所因は事によるとここにあるかもしれないが、私にはどうも工合が悪く気持が悪い。名高い画家達のものを見ても、どうも私には面白味が・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・部分は部分において一になり、全体は全体において一とならんとする大渦小渦鳴戸のそれも啻ならぬ波瀾の最中に我らは立っているのである。この大回転大軋轢は無際限であろうか。あたかも明治の初年日本の人々が皆感激の高調に上って、解脱又解脱、狂気のごとく・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・「全体、狐ッて奴は、穴一つじゃねえ。きつと何処にか抜穴を付けとくって云うぜ。一方口ばかし堅めたって、知らねえ中に、裏口からおさらばをきめられちゃ、いい面の皮だ。」 一同、成程と思案に暮れたが、此の裏穴を捜出す事は、大雪の今、差当り、・・・ 永井荷風 「狐」
・・・如何に人間の弱点を書いたものでも、その弱点の全体を読む内に何処にかこれに対する悪感とか、あるいは別に倫理的の要求とかが読者の心に萌え出づるような文学でなければならぬ。これが人心の自然の要求で、芸術もまたこの範囲にある。今の一部の小説が人に嫌・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・ただ眼は眼を見ることはできず、山にある者は山の全体を知ることはできぬ。此智此徳の間に頭出頭没する者は此智此徳を知ることはできぬ。何人であっても赤裸々たる自己の本体に立ち返り、一たび懸崖に手を撒して絶後に蘇った者でなければこれを知ることはでき・・・ 西田幾多郎 「愚禿親鸞」
・・・そしてこの一事が、僕のニイチェから受けた教育のあらゆる「全体のもの」なのである。 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・もし許すならばその中学の寄宿舎全体に、たった一人でいたかった。 何かしら、人間ぎらいな、人を避け、一人で秘密を味わおうという気振りが深谷にあることは、安岡も感じていた。 安岡は淋しかった。なんだか心細かった。がもう一学期半辛抱すれば・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・その相接すること密に過ぎ、かえって他の全体を見ること能わずして、局処をうかがうに察々たるがゆえなり。なお、かの、山を望み見ずして山に登りて山を見るが如く、とうてい物の真情を知るによしなし。真情相通ぜざれば、双方の交際は、ただ局処の不平と不平・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・そして、其の当然の結果として、彼の小説には全体に其の気が行き渡っているのだから、これを翻訳するには其の心持を失わないように、常に其の人になって書いて行かぬと、往々にして文調にそぐわなくなる。此の際に在ては、徒らにコンマやピリオド、又は其の他・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
出典:青空文庫