・・・ 僕は酒を飲むことを里子からも医師からも禁じられて居ます。けれども如何でしょう。此のような目に遇って居る僕がブランデイの隠飲みをやるのは、果て無理でしょうか。 今や僕の力は全く悪運の鬼に挫がれて了いました。自殺の力もなく、自滅を待つ・・・ 国木田独歩 「運命論者」
・・・明らかに狐を使った者は、応永二十七年九月足利将軍義持の医師の高天という者父子三人、将軍に狐を付けたこと露顕して、同十月讃岐国に流されたのが、年代記にまで出ている。やはり祇尼法であったろうことは思遣られるが、他の者に祈られて狐が二匹室町御所か・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・検事は、机の上の医師の診断書に眼を落しながら、「君は、肺がわるいのだね?」 男は、突然、咳にむせかえった。こんこんこん、と三つはげしく咳をしたが、これは、ほんとうの咳であった。けれども、それから更に、こん、こん、と二つ弱い咳をしたが・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・第二課、アレキサンドル大王と医師フィリップ。むかしヨーロッパにアレキサンドル大王という英雄があった。少女の朗朗と読みあげる声をはっきり聞いた。少年は、うごかなかった。少年は信じていた。あのくろんぼは、ただの女だ。ふだんは檻から出て、みんなと・・・ 太宰治 「逆行」
・・・そこに兵站部があるから行って医師に見てもらうさ」 「まだ遠いですか?」 「もうすぐそこだ。それ向こうに丘が見えるだろう。丘の手前に鉄道線路があるだろう。そこに国旗が立っている、あれが新台子の兵站部だ」 「そこに医師がいるでしょう・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ずっと大きくなってからよく両親から聞かされたところによると、その頃とかく虚弱であった自分を医師の勧めによって「塩湯治」に連れて行ったのだが、いよいよ海水浴をさせようとするとひどく怖がって泣き叫んでどうしても手に合わないので、仕方なく宿屋で海・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・あまり頻繁に見に来ると猫の神経を刺激して病気にさわると言って医師から警告を受けて帰ったものもあった。 物を言わない家畜を預かって治療を施す医者の職業は考えてみるとよほど神聖なもののような気がした。入院中に受けた待遇についてなんらの判断も・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・然し全治までには長い時間を要すると医師は診断した。告訴を受ければ太十は監獄署の門をくぐらねばならぬと思って居る。彼はどれ程警察署や監獄署に恐怖の念を懐いたろう。彼はそれからげっそり窶れて唯とぼとぼとした。事件は内済にするには彼の負担としては・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・然るに未だ一年をも経ない中に、眼を疾んで医師から読書を禁ぜられるようになった。遂にまた節を屈して東京に出て、文科大学の選科に入った。当時の選科生というものは惨じめなものであった、私は何だか人生の落伍者となったように感じた。学校を卒えてからす・・・ 西田幾多郎 「或教授の退職の辞」
・・・私は自分の養生に注意し始めた。そして運動のための散歩の途中で、或る日偶然、私の風変りな旅行癖を満足させ得る、一つの新しい方法を発見した。私は医師の指定してくれた注意によって、毎日家から四、五十町の附近を散歩していた。その日もやはり何時も通り・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
出典:青空文庫