・・・太十が犬だけは自分で世話をした。壊れた箱へ藁しびを入れてそれを囲炉裏の側へ置いてやった。子犬はそれへくるまって寝た。霜の白い朝彼は起きて屹度犬の箱を覗く。犬は小さいながら成長した。春らしい日の光が稀にはほっかり射すようになって麦がみずみずし・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・この偶然が壊れた日にはどっち本位にするかというと、私は私を本位にしなければ作物が自分から見て物にならない。私ばかりじゃない誰しも芸術家である以上はそう考えるでしょう。したがってこういう場合には、世間が芸術家を自分に引付けるよりも自分が芸術家・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・町全体が一つの薄い玻璃で構成されてる、危険な毀れやすい建物みたいであった、ちょっとしたバランスを失っても、家全体が崩壊して、硝子が粉々に砕けてしまう。それの安定を保つためには、微妙な数理によって組み建てられた、支柱の一つ一つが必要であり、そ・・・ 萩原朔太郎 「猫町」
・・・塵の下には、塵箱が壊れたまま、へしゃげて置かれてあった。が上の方は裸の埃であった。それに私は門を入る途端にフト感じたんだが、この門には、この門がその家の門であると云う、大切な相手の家がなかった。塵の積んである二坪ばかりの空地から、三本の坑道・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・家族なきものというも可なり、家族あらざれば国もまたあるべからず、日本は未だ国を成さざるものなりなど、口を極めて攻撃せらるるときは、我輩も心の内には外国人の謬見妄漫を知らざるにあらず、我が徳風斯くまでに壊れたるにあらず、我が家族悉皆然るにあら・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・そしてしばらく口惜しさにしくしく泣いていましたがやっとあきらめてその壊れた傘も持たずうちへ帰ってしまいました。そして縁側から入ろうとしてふと見ましたらさっきの傘がひろげて干してあるのです。照井耕一という名もちゃんと書いてありましたし、さっき・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・ 陽子の足許の畳の上へ胡坐を掻いて、小学五年生の悌が目醒し時計の壊れを先刻から弄っていた。もう外側などとっくに無くなり、弾機と歯車だけ字面の裏にくっついている、それを動かそうとしているのだ。陽子は少年らしい色白な頸窩や、根気よい指先を見・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・あわれかれの心は根底より壊れ、次第に弱くなって来た。 十二月の末、かれはついに床についた。 正月の初めにかれは死んだ。そして最後の苦悩の譫語にも自分の無罪を弁解して、繰り返した。『糸の切れっ端――糸の切れっ端――ごらんくだされこ・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・況や鴎外漁史は一の抽象人物で、その死んだのは、児童の玩んでいた泥孩が毀れたに殊ならぬのだ。予は人の葬を送って墓穴に臨んだ時、遺族の少年男女の優しい手が、浄い赭土をぼろぼろと穴の中に翻すのを見て、地下の客がいかにも軟な暖な感を作すであろうと思・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・それとともに、蓮の花のみの世界は、壊れざるを得なかった。蓮の花が無限に遠くまで打ち続いているという印象も消えた。そのころに舟は帰路についたのである。 帰路はさんざんであった。舟がまだ池を出はずれない前に、もう朝日が東の山を出たように思う・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
出典:青空文庫