・・・隣村の茶店まで来た時そこには大勢が立ち塞って居るのを見た。隣村もマチであった。唄う声と三味線とが家の内から聞えて来る。彼はすぐに瞽女が泊ったのだと知った。大勢の後から爪先を立てて覗いて見ると釣ランプの下で白粉をつけた瞽女が二人三味線の調子を・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・ 生涯の大勢は構わないその日その日を面白く暮して行けば好いという人があるように、芝居も大体の構造なんか眼中におく必要がない、局部局部を断片的に賞翫すればよいという説――二宮君のような説ですが、まあその説に同意してみたらどんなものでしょう・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・人心変動の沿革にしたがいて、その大勢の真形を反射せざるべからず。あるいはまた、その反射するにあたりて、実物のこの一方に対しては真形を写すべけれども、かの一方の真をば写すべからざることもあらん。然るときは、その二物の軽重緩急を察して、まず重大・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・厭らしい奴が大勢でございます。主人。乞食かい。家来。如何でしょうか。主人。そんなら庭から往来へ出る処の戸を閉めてしまって、お前はもう寝るが好い。己には構わないでも好いから。家来。いえ、そのお庭の戸は疾くに閉めてあるのでござい・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・昨夜も大勢来て居った友人(碧梧桐、鼠骨、左千夫、秀真、節は帰ってしもうて余らの眠りに就たのは一時頃であったが、今朝起きて見ると、足の動かぬ事は前日と同しであるが、昨夜に限って殆ど間断なく熟睡を得たためであるか、精神は非常に安穏であった。顔は・・・ 正岡子規 「九月十四日の朝」
・・・さて現今世界の大勢を見るに実にどうもこんらんしている。ひとのものを横合からとるようなことが多い。実にふんがいにたえない。まだ世界は野蛮からぬけない。けしからん。くそっ。ちょっ。」 会長さんはまっかになってどなりました。みんなはびっくりし・・・ 宮沢賢治 「紫紺染について」
・・・ 今日の日本には自分たちの眼でソヴェト同盟をみてきた人が大勢いる。捕虜として各地でキャンプ生活をしながら生産労働に従ってきたひとびとの見聞は、その特別な事情から受ける制約があって、いた場所によって、収容所長の性格によって、まちまちな経験・・・ 宮本百合子 「あとがき(『モスクワ印象記』)」
・・・しかし元服をしてからのちの自分は、いわば大勢の近習のうちの一人で、別に出色のお扱いを受けてはいない。ご恩には誰も浴している。ご恩報じを自分に限ってしなくてはならぬというのは、どういう意味か。言うまでもない、自分は殉死するはずであったのに、殉・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・どうも大勢の人が段々自分の身に近寄って来はしないかというような心持になる。闇が具体的になって来るような心持になる。そこで慌ただしげにマッチを一本摩った。そして自分の周囲に広い黒い空虚のあるのを見てほっと溜息を衝いた。その明りが消えると、また・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・ それが新時代の大勢であった。地下の偶像は皆よみがえって、再び太陽の下に打ち立てられた。狂熱的な僧侶の反動もただ大勢に一つの色彩を加えたに過ぎなかった。しかし再興せられた偶像はもはや礼拝せらるべき神ではない。何人もその前に畜獣を屠って供・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
出典:青空文庫