・・・ 軍隊特有な新しい言葉を覚えた。からさせ、──云わなくても分っているというような意。まんさす、──二年兵ける、しゃしくに。──かっぱらうこと。つる。──いじめること。太鼓演習、──兵卒を二人向いあって立たせ、お互いに両手・・・ 黒島伝治 「入営前後」
・・・田舎の秋のお祭りに、太鼓を舁いだり、幟をさしたり、一張羅の着物を着てマチへ出る村の人々は、何等か興味をそゝって話の種になったものだが、東京の街で見るものは彼等にとって全く縁遠いものだった。浅草の観音もさほど有がたいとは思われなかった。せわし・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・それらの者はこの六月の末という暑気に重い甲冑を着て、矢叫、太刀音、陣鐘、太鼓の修羅の衢に汗を流し血を流して、追いつ返しつしているのであった。政元はそれらの上に念を馳せるでもない、ただもう行法が楽しいのである。碁を打つ者は五目勝った十目勝った・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・と尻上りに勘高くひびく唄が太鼓といっしょに聞えてきた。乗合自動車がグジョグジョな雪をはね飛ばしていった。後に「チャップリン黄金狂時代、近日上映」という広告が貼ってあった。龍介はフト『巴里の女性』という活動写真を思いだした。それにはチャップリ・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・ 不景気、不景気と言いながら、諸物価はそう下がりそうにもないころで、私の住む谷間のような町には毎日のように太鼓の音が起こった。何々教とやらの分社のような家から起こって来るもので、冷たい不景気の風が吹き回せば回すほど、その音は高く響け・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・ドンジャンの鐘太鼓も聞えず、物売りの声と参詣人の下駄の足音だけが風の音にまじって幽かに聞える。「君は大将でしょうね。見せ物の大将に違いないでしょうね。」先生は、何事も意に介さぬという鷹揚な態度で、その大将にお酌をなされた。「は、いや・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・どおん、どおん、と春の土の底の底から、まるで十万億土から響いて来るように、幽かな、けれども、おそろしく幅のひろい、まるで地獄の底で大きな大きな太鼓でも打ち鳴らしているような、おどろおどろした物音が、絶え間なく響いて来て、私には、その恐しい物・・・ 太宰治 「葉桜と魔笛」
・・・遠くから聞こえて来る太鼓の音に聞き耳をたてるヒロインの姿から、一隊の兵士の行進している長い市街のヴィスタが呼び出され描き出される。霧の甲板にひびく汽笛の音とその反響によってある港の夜の空間が忽然として観客の頭の中に広がるのである。 音が・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・熱帯の白日に照らされた道路のはるか向こうから兵隊のラッパと太鼓が聞こえて来る。アラビア人の馬方が道のまん中に突っ立った驢馬をひき寄せようとするがなかなかいこじに言うことを聞かない。馬方はとうとう自分ですべって引っくりかえって白いほこりがぱっ・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ 道太がやや疲労を感じたころには、静かなこの廓にも太鼓の音などがしていた。三 離れの二階の寝心地は安らかであった。目がさめると裏の家で越後獅子のお浚いをしているのが、哀愁ふかく耳についた。「おはよう、おはよう」という・・・ 徳田秋声 「挿話」
出典:青空文庫