・・・たった一言でいい、君の立場の実情を言え! 君の立場の実情を。……」 そのような、頗る泥臭い面罵の言葉が、とめどなく、いくらでも、つぎつぎと胸に浮び、われながらあまり上品では無いと思いながら、憤怒の念がつのるばかりで、いよいよひとりで興奮・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・いしい副食物のために、いつもお金に窮して、それこそ、あちこち、あちこちの出版社から、ひどい借金をしてしまって、いきおい家庭は貧寒、母の財布には、せいぜい百円紙幣三、四枚、というのが、全くいつわりの無い実状なのである。「お父さんの一晩のお・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
・・・交際している、などと言うと聞えもいいけれど、実情は、僕の生家の者たちは草田氏の家に出入りを許されている、とでも言ったほうが当っている。俗にいう御身分も、財産も、僕の生家などとは、まるで段違いなのである。謂わば、僕の生家のほうで、交際をお願い・・・ 太宰治 「水仙」
・・・それ以外に、送金を願う口実は無かった。実情はとても誰にも、言えたものではなかった。私は共犯者を作りたくなかったのである。私ひとりを、完全に野良息子にして置きたかった。すると、周囲の人の立場も、はっきりしていて、いささかも私に巻添え食うような・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・私は、こんな吹出物して、心まで鬼になってしまっているのだな、と実状が薄ぼんやり判って来て、私が今まで、おたふく、おたふくと言って、すべてに自信が無い態を装っていたが、けれども、やはり自分の皮膚だけを、それだけは、こっそり、いとおしみ、それが・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・つりぽつりと売払い、いまは全く茶道と絶縁の浅ましき境涯と相成申候ところ、近来すこしく深き所感も有之候まま、まことに数十年振りにて、ひそかに茶道の独習を試み、いささかこの道の妙訣を感得仕り申候ものの如き実情に御座候。 それ覆載の間、朝野の・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・誰かのように、実情がないんじゃアなし、義理を知らないんじゃアなし……」 平田はぷいと坐を起ッた。「お便所」と、小万も起とうとする。「なアに」と、平田は急いで次の間へ行ッた。「放擲ッておおきよ、小万さん。どこへでも自分の好きなとこ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・を恥じいやしむ者ありされどもさすが故園情に堪えずたまたま親里に帰省するあだ者なるべし浪花を出てより親里までの道行にて引道具の狂言座元夜半亭と御笑い下さるべく候実は愚老懐旧のやるかたなきよりうめき出たる実情にて候代女述意と称する春風馬・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・日本の社会がこの先どうなって行くだろうかと訊かれて、簡単に答え得る人は、寧ろ今日の現実の裡で十分緻密な生活感情をもって複雑な日々の経験をとり入れている人であるとは云い難い実情である。現実は益々複雑な面を露出している。文学の歩みがその社会的相・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・なぜといえば、トルーマン再選を奇蹟的だの意外だのと書きながら、一方でその新聞は、トルーマンは彼の困難な選挙活動のはじまりから、非民主的だった第八十議会の実状を率直に訴えれば、アメリカ市民は彼に協力するにちがいないという十分の確信にたっていた・・・ 宮本百合子 「新しい潮」
出典:青空文庫