・・・予算から寄附金のことまで自分が先に立って苦労する。敷地の買上、その代価の交渉、受負師との掛引、割当てた寄附金の取立、現金の始末まで自分に為せられるので、自然と算盤が机の上に置れ通し。持前の性分、間に合わして置くことが出来ず、朝から寝るまで心・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・森さんの寄付してくれた古い小屋なぞも裏のほうに造り足してあったよ。」 私は次郎や三郎にもこんな話を聞かせて置いて、またそこに横になった。 二日も三日も私は寝てばかりいた。まだ半分あの山の上に身を置くような気もしていた。旅の印象は疲れ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 英国でも、皇帝、皇后両陛下や、ロンドン市民から寄附をよこし、東洋艦隊や、カナダからの数せきの船は食糧を満さいして来ました。 支那では北京政府が二十万元を支出して送金して来た外、これまで米殻輸出を禁じていたのを、とくに日本のために、・・・ 鈴木三重吉 「大震火災記」
・・・「このたびの着物も袴も、中畑さんがあなたの御親戚をあちこち駈け廻って、ほうぼうから寄附を集めて作って下さったのですよ。まあ、しっかりおやりなさい。」 その夜おそく、私は嫁を連れて新宿発の汽車で帰る事になったのだが、私はその時、洒落や冗談・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・これはいわゆる天保銭主義と称する主義の宣伝のためにここに寄附されたものらしい。 絵でも描くような心持がさっぱりなくなってしまったので、総持寺見物のつもりで奥へはいって行った。花崗岩の板を贅沢に張りつめたゆるい傾斜を上りつめると、突きあた・・・ 寺田寅彦 「雑記(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・その席でペンクは、本日某無名氏よりシャックルトン氏の探険費として何万マルクとかの寄附があったと吹聴した。その無名氏なるものがカイザー・ウィルヘルム二世であることが誰にも想像されるようにペンク一流の婉曲なる修辞法を用いて一座の興味を煽り立てた・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・門の前には竹矢来が立てられて、本堂再建の寄附金を書連ねた生々しい木札が並べられてあった。本堂は間もなく寄附金によって、基督新教の会堂の如く半分西洋風に新築されるという話……ああ何たる進歩であろう。 私は記憶している。まだ六ツか七ツの時分・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・それは明治七年其角堂永機の寄附と明治十三年水戸徳川家の増植とを俟って始て果されたのである。以後向島居住の有志者は常に桜樹の培養を怠らず、時々これが補植をなし、永くこの堤上を以て都人観花の勝地たらしむべく、明治二十年に植桜之碑を建てて紀念とな・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・ だいたい今まで中学が少な過ぎたために、県で立てたのが二つ、その当時、衆議院議員選挙の猛烈な競争があったが、一人の立候補が、石炭色の巨万の金を投じて、ほとんどありとあらゆる村に中学を寄付したその数が五つ。 こんなわけで、今まで七人も・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・ 見附けたのでしたが、それはつい寄附させられてしまいました。誰に寄附させられたのかっていうんですか。誰にって校長にですよ。どこの学校? ええ、どこの学校って正直に云っちまいますとね、茨海狐小学校です。愕いてはいけません。実は茨海狐小学校・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
出典:青空文庫