・・・は同様の奇禍に罹りて新政府の諸臣を警しむるの具に供せられたることもあらんなれども、幸にして明治政府には専制の君主なく、政権は維新功臣の手に在りて、その主義とするところ、すべて文明国の顰に傚い、一切万事寛大を主として、この敵方の人物を擯斥せざ・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・私たちは寛大に拍手しました。 祭司が一人出てその人と並んで紹介しました。「このお方は神学博士ヘルシウス・マットン博士でありましてカナダ大学の教授であります。この度はシカゴ畜産組合の顧問として本大祭に御出席を得只今より我々の主張の不備・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ 彼女がもう二度と来ないということは、村人を寛大な心持にさせた。「せきが出るな――せきの時は食べにくいもんだが、これなら他のものと違ってもつから、ほまちに食いなされ」 麦粉菓子を呉れる者があった。「寒さに向って、体気をつけな・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・子供が将来、独立人としての見識をもち、同時に、美しい寛大さと、威厳を失うことのない譲歩とを学ぶ、みなもとです。 日本が民主の国にならなければならない、その大切な毎日の発展は、こういう母たちの心がけのうちに、かもされてゆくのだと思います。・・・ 宮本百合子 「新しい躾」
・・・それで寛大にする。それはやっぱり裁判の民主化とは、いろいろな官僚的でなく裁判をしようということで、また被告の人権を重んじようとする、平沢の事件なんかで皆が非常に困った立場になったというようなことから、へんてこりんな基本的人権の尊重のしかたで・・・ 宮本百合子 「浦和充子の事件に関して」
十一月の中旬に、学友会の雑誌が出る。何か書いたものを送るようにと云う手紙を戴いた。内容は、近頃の自分の生活に就て書いたものでもよいし、又は、旅行記のようなものでもよいと、大変寛大に視野を拡げて与えられた。けれども、こうして・・・ 宮本百合子 「思い出すかずかず」
・・・ A、貴方は、もう少し、一人の友に対して寛大であっては呉れませんか。 私には、貴方がたのどちらもが、互に害されることを辛く思わずに居られない。どっちからでも可愛がって貰ってさえ居ればよいと云う時代は、いつか過ぎて居るのを知った。・・・ 宮本百合子 「傾く日」
・・・恩をもって怨みに報いる寛大の心持ちに乏しい。即座に権兵衛をおし籠めさせた。それを聞いた弥五兵衛以下一族のものは門を閉じて上の御沙汰を待つことにして、夜陰に一同寄り合っては、ひそかに一族の前途のために評議を凝らした。 阿部一族は評議の末、・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・そして今逆に先手を打って、安次を秋三から心良く寛大に引き取ってやったとしたならば、自分の富の権威を一倍敵に感ぜしめもし、彼の背徳を良心に責めしめもする良策になりはしないか、と考えついた時には、早や彼は家に帰って風呂の湯加減をみる為に、一寸手・・・ 横光利一 「南北」
・・・ぼうもねその方の通りに、寛大して、やさしくッて、剛勇くなっておくれよ」。こう聞いて訳もなく悲しくなって、すすり泣しながら、また何気なく、「アアその墓に埋ってる人は殿さまのようにえらいお方?」というと、さも見下果たという様子を口元にあらわして・・・ 若松賤子 「忘れ形見」
出典:青空文庫