・・・などでも、それと寸分違わぬ現象が日本以外のいずれの国に見られるかも疑問である。たとえばドイツの「ウェッターロイヒテン」は稲妻と物理的にはほとんど同じ現象であってもそれは決して稲田の闇を走らない。あらゆる付帯的気象条件がちがい従って人間の感受・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・それだのに不思議な錯覚でそれが二十年も昔と寸分ちがわないような気がするのである。 この飛び石のすぐわきに、もとは細長い楠の木が一本あった。それはどこかの山から取って来た熊笹だか藪柑子だかといっしょに偶然くっついて運ばれて来た小さな芽ばえ・・・ 寺田寅彦 「庭の追憶」
・・・されどもその何事なるかは寸分の観念だにない。性の知れぬ者がこの闇の世からちょっと顔を出しはせまいかという掛念が猛烈に神経を鼓舞するのみである。今出るか、今出るかと考えている。髪の毛の間へ五本の指を差し込んでむちゃくちゃに掻いて見る。一週間ほ・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・もう一つ困るのは、松山中学にあの小説の中の山嵐という綽名の教師と、寸分も違わぬのがいるというので、漱石はあの男のことをかいたんだといわれてるのだ。決してそんなつもりじやないのだから閉口した。 松山から熊本の高等学校の教師に転じて、そこで・・・ 夏目漱石 「僕の昔」
・・・去年分れた時の顔と寸分違わぬ。顔の周囲を巻いている髪の毛が……ウィリアムは呪われたる人の如くに、千里の遠きを眺めている様な眼付で石の如く盾を見ている。日の加減か色が真青だ。……顔の周囲を巻いている髪の毛が、先っきから流れる水に漬けた様にざわ・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ただ背中に小さい小僧がくっついていて、その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実も洩らさない鏡のように光っている。しかもそれが自分の子である。そうして盲目である。自分はたまらなくなった。「ここだ、ここだ。ちょうどその・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・最前男の子にダッドレーの紋章を説明した時と寸分違わぬ。やがて首を少し傾けて「わが夫ギルドフォード・ダッドレーはすでに神の国に行ってか」と聞く。肩を揺り越した一握りの髪が軽くうねりを打つ。坊さんは「知り申さぬ」と答えて「まだ真との道に入りたも・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ ここにおいてか、人を妬み人を悪て、たがいに寸分の余地をのこさず、力ある者は力をつくし、智恵ある者は智恵をたくましゅうし、ただ一片の不平心を慰めんがために孜々として、永遠の利害はこれを放却して忘れたるが如くなるにいたる者、すくなからず。・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・私と同級の一人の友達は、いつの間にか、それと寸分違わないもう一つの水色襷を作った。そして、何気なく体操や何かの時、ふっさり結んで肩につける。 ところが或る日、担任の先生から、「近頃、誰の真似だか知らないが、いやに幅の広い襷をかけたり・・・ 宮本百合子 「弟子の心」
出典:青空文庫