・・・そういう教育を受ける者は、前のような有様でありますが社会は如何かというと、非常に厳格で少しのあやまちも許さぬというようになり、少しく申訳がなければ坊主となり切腹するという感激主義であった、即ち社会の本能からそういうことになったもので、大体よ・・・ 夏目漱石 「教育と文芸」
・・・是れも本文の通りにて異議なけれども、歌舞伎小唄浄瑠璃を見聴くべからず、宮寺等へ行くことも遠慮す可しとは如何ん。少しく不審なきを得ず。抑も苦楽相半するは人生の常にして、茲に苦労あれば又随て歓楽あり、苦楽平均して能く勉め能く楽しみ、以て人生を成・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・政府にては学校といい、平民にては塾といい、政府にては大蔵省といい、平民にては帳場といい、その名目は古来の習慣によりて少しく不同あれども、その事の実は毫も異なることなし。すなわち、これを平民の政といいて可なり。 古より家政などいう熟字あり・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・ 併し、これは少しく説明を要する。 私のは、普通の文学者的に文学を愛好したというんじゃない。寧ろロシアの文学者が取扱う問題、即ち社会現象――これに対しては、東洋豪傑流の肌ではまるで頭に無かったことなんだが――を文学上から観察し、解剖・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・ここより歌人としての曙覧につきて少しく評するところあらんとす。 曙覧の歌は比較的に何集の歌に最も似たりやと問わば、我れも人も一斉に『万葉』に似たりと答えん。彼が『古今』、『新古今』を学ばずして『万葉』を学びたる卓見はわが第一に賞揚せんと・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・しかれども複雑なるものも活動せるものも少しくこれを研究せんか、これを描くことあながち難きにあらず。ただ俳句十七字の小天地に今までは辛うじて一山一水一草一木を写し出だししものを、同じ区劃のうちに変化極まりなく活動止まざる人世の一部分なりとも縮・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・われわれは軍律上少しく変則ではあるがこれから食事を始める。」兵士悦ぶ。曹長特務曹長「いや、盗むというのはいかん。もっと正々堂々とやらなくちゃいけない。いいか。おれがやろう。」特務曹長バナナン大将の前に進み直立す。曹長以下これ・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・三人の帰後余は夫人の為に手紙の代筆などし少しく語りたる後辞し帰りぬ。 神よ、余は此の筆にするだに戦きに堪へざる事あり。余は余の謬れるを知る。余は暫く信子氏と相遭はざりき。而して今日偶彼女と遭ひて、余の心の中には嘗て彼女に対して経験せざり・・・ 宮本百合子 「「或る女」についてのノート」
・・・しかし筆の走りついでだから、もう一度主筆に追願をして、少しくこの門外漢の評価の一端を暴露しようか。明治の聖代になってから以還、分明に前人の迹を踏まない文章が出でたということは、後世に至っても争うものはあるまい。露伴の如きが、その作者の一人で・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・兼良は応永九年の生まれで、応永時代の代表者としては少しく遅いが、しかしそれでも応永の末には右大臣、永享四年には関白となっている。この時にはすぐにやめたが、十五年後四十五歳の時にふたたび関白太政大臣となり、さらに六十五歳の時三度関白となった。・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫