・・・ その時分は今と違って就職の途は大変楽でした。どちらを向いても相当の口は開いていたように思われるのです。つまりは人が払底なためだったのでしょう。私のようなものでも高等学校と、高等師範からほとんど同時に口がかかりました。私は高等学校へ周旋して・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・その頃は大学卒業の学士に就職難というものはなかったが、選科といえば、あまり顧みられなかったので、学校を出るや否や故郷に帰った。そして十年余も帝都の土を踏まなかった。*1「世代から世代へ、いく世代も。」*2「少くともラテン語は・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・一寸名のあるスポーツマンになるといいぜ、就職が楽だぜ。そういう功利的通念は、今や、オイ、御新邸を背負って華族の娘さんが嫁に来るぜ、という例外の一例とはなるかもしれないが、この結合を、社会的な評価で新しい内容をもつものであるといい得ないことは・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・ 専門学校を卒業したかたは、それぞれ就職のために忙しい日を送られたでしょう。就職しない方の気持にはどんな思いがあるでしょうか。この間から、わたくしはたびたびこういう不安をききました。やっと家のものを説得して専門学校は出たけれども、出てか・・・ 宮本百合子 「新しい卒業生の皆さんへ」
・・・ この春中学校を卒業しても就職できなかった多勢の少年、少女とその親とのきょうの暮しは、どんなこころもちでしょう。 母たちが「うちのこだけは」と個人のがんばりでりきむだけでは、未来の大人である子供の生活にあかるいみとおしを与えることは・・・ 宮本百合子 「親子いっしょに」
・・・ 就職線は拡大せられたと軍需工場について新聞は報じているが、私達の目前には解雇によって生涯を不具になった一少女が立っている。私たちは謙遜に偏見なしに自分たちのおかれている周囲の現実を眺める。そして所謂日本の国際的進出によって、どの位女の・・・ 宮本百合子 「暮の街」
・・・ 昭和十四年には、その春小学校を卒業した子供たちの三九パーセントがそれぞれ就職している。九十二万五千九百五十五人という少年少女が、労働の給源となった。それでさえ、求人の四割を充しただけで、公の職業紹介によらない斡旋屋は、小学生一人につい・・・ 宮本百合子 「国民学校への過程」
・・・今は不況時代で就職は難しいと一般に考えられていますが、しかし、誠意をもって、たましいを打ちこんで自分の職務に尽そうとしている人は少ない。 ですから、職を求める人がそこらにほうきではきよせる程あっても、要するに、誠意を認められている人はや・・・ 宮本百合子 「「市の無料産院」と「身の上相談」」
・・・入営まで職についていれば除隊後新たに就職するまで失業手当を支給される。親が例えば選挙権をもたないでも息子が赤衛兵ならば集団農場に加入を許される。 手風琴を鳴らして赤衛兵が腰かけている窓の下の掘割を、ボートが一艘漕いで来た。ボートの中には・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・大学というところを就職のための段階という風に考えている若い人も相当あって、それらの人たちは就職線に向っては互に競争者の関係におかれるのだから、そのような人間関係のなかに健全な友情の生い立とうはずもない。ただ通り一遍の学生のつき合いがあるにと・・・ 宮本百合子 「生活者としての成長」
出典:青空文庫