・・・三州奇談に、人あり、加賀の医王山に分入りて、黄金の山葵を拾いたりというに類す。類すといえども、かくのごときは何となく金玉の響あるものなり。あえて穿鑿をなすにはあらず、一部の妄誕のために異霊を傷けんことを恐るればなり。 また、事の疑うべき・・・ 泉鏡花 「遠野の奇聞」
・・・彼らはまた朝早くから四里も五里も山の中の山葵沢へ出掛けて行く。楢や櫟を切り仆して椎茸のぼた木を作る。山葵や椎茸にはどんな水や空気や光線が必要か彼らよりよく知っているものはないのだ。 しかしこんな田園詩のなかにも生活の鉄則は横たわっている・・・ 梶井基次郎 「温泉」
・・・落葉松の林中には蝉時雨が降り、道端には草藤、ほたるぶくろ、ぎぼし、がんぴなどが咲き乱れ、草苺やぐみに似た赤いものが実っている、沢へ下りると細流にウォータークレスのようなものが密生し、柵囲いの中には山葵が作ってある。沢の奥の行きづまりには崩れ・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・さて当日の模様をざっと書いて見ると、酒の良いのを二升、そら豆の塩茄に胡瓜の香物を酒の肴に、干瓢の代りに山葵を入れた海苔巻を出した。菓子折を注文して、それを長屋の軒別に配った。兄弟分が御世話になりますからとの口上を述べに何某が鹿爪らしい顔で長・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・何でも山葵おろしで大根かなにかをごそごそ擦っているに違ない。自分は確にそうだと思った。それにしても今頃何の必要があって、隣りの室で大根おろしを拵えているのだか想像がつかない。 いい忘れたがここは病院である。賄は遥か半町も離れた二階下の台・・・ 夏目漱石 「変な音」
・・・潮流の工合で、南洋からそういう植物をのせたまま浮島が漂って来て、大仕掛の山葵卸のようなそれ等の巖のギザギザに引っかかったまま固着したのか、または海中噴火でもし、溶岩が太平洋の波に打たれ、叩かれ、化学的分解作用で変化して巖はそんな奇妙なものと・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
出典:青空文庫