・・・「あなたは天主教を弘めに来ていますね、――」 老人は静かに話し出した。「それも悪い事ではないかも知れません。しかし泥烏須もこの国へ来ては、きっと最後には負けてしまいますよ。」「泥烏須は全能の御主だから、泥烏須に、――」 ・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・家に帰らば世の人々にも告げて、君が情け深き挙動言い広め、文にも書きとめて後の世の人にも君が名歌わさばやと先の旅客言いたしぬ。情け深き人は微笑みて何事もいわざりき。かくてこの二人は連れだちて途をいそぎぬ。路はいよいよ危うく雪はますます深し。一・・・ 国木田独歩 「詩想」
・・・けたる酒盃を小春に注がせてお睦まじいとおくびより易い世辞この手とこの手とこう合わせて相生の松ソレと突きやったる出雲殿の代理心得、間、髪を容れざる働きに俊雄君閣下初めて天に昇るを得て小春がその歳暮裾曳く弘め、用度をここに仰ぎたてまつれば上げ下・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・の前に、新聞を山のように積み上げられる。チルナウエルもその新聞の山の蔭に座を占めていて、隣の卓でする話を、一言も聞き漏さないように、気を附けている。中には内で十分腹案をして置いて、この席で「洒落」の広めをする人がある。それをも聞き漏さない。・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 大道蓄音機が文化の福音を片田舎に広めた事は疑いもないが、同時にあの耳にはさむ管の端が耳の病気を伝播させはしなかったかと心配する。今ならばフォルマリンか何かで消毒するだろうが、あのころそういう衛生上の注意が行き届いていたかどうか疑わしい・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・これを推し広めて考えると、結局少なくも日本国中のおのおのの人間は全国民のおのおのと切っても切っても切り尽せないほどの糸でつながり合っている訳である。」 こういう全く分り切った事を、自分で始めて発見したように思って独りで喜ぶのが彼の癖であ・・・ 寺田寅彦 「年賀状」
・・・芸者が弘めをする時の手拭の包紙で腰張した壁の上には鬱金の包みを着た三味線が二梃かけてある。大きな如輪の長火鉢の傍にはきまって猫が寝ている。襖を越した次の座敷には薄暗い上にも更に薄暗い床の間に、極彩色の豊国の女姿が、石州流の生花のかげから、過・・・ 永井荷風 「妾宅」
一 最近自分の生活の上に起った重大な変動は、種々な点で自分の経験を深めて呉れたと同時に、心に触れる対象の範囲をも亦広めて呉れた。今までは或る知識として、頭で丈解っていた生活の内容が、多少なりとも体・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
・・・ 女性の経済についての知識が、一尾の魚を幾とおりに料理出来るか、という範囲よりも、広められ深められなければ、今日の多難さの裡で、つまりはこれ迄の女の一番卑屈な思いつきでばかり、現実の推移を追っかけていなくてはならないことになるだろうと思・・・ 宮本百合子 「主婦意識の転換」
・・・若し、私の貧しい洞察が許されるならば、その取材の変化は、貴女が芸術家としての内容を拡大させ、視野を広めて行かれようとする勇ましい努力の暗示であり、失敗は、それに伴わなかった、同じ内的な他の何ものかを暗示しているのではございますまいか。 ・・・ 宮本百合子 「野上彌生子様へ」
出典:青空文庫