けいちょういちぶばんきん【慶長一分判金】
江戸幕府発行の金貨。慶長6〜元文3年(1601〜1738)通用。慶長一分金。慶長一分判。
けいちょうおおばんきん【慶長大判金】
江戸幕府発行の金貨。表面に「拾両」と書いてあるが、1枚が慶長小判の8両2分にあたる。主に賞賜に用いられた。
けいちょうかつじ【慶長活字】
慶長年間に製作された木製の活字。慶長勅版本などの印刷に使用した。
けいちょうきん【慶長金】
慶長6年(1601)から江戸幕府が発行した慶長大判金・慶長小判金・慶長一分判金の総称。
けいちょうぎん【慶長銀】
慶長6年(1601)から江戸幕府が発行した慶長丁銀および慶長豆板銀の総称。
けいちょうけんおうしせつ【慶長遣欧使節】
慶長18年(1613)仙台藩主伊達政宗が家臣の支倉常長 (はせくらつねなが) をローマ教皇庁に派遣した使節。日本を出発し、メキシコを経てイスパニアに至り国王フェリペ3世に謁見、さらにローマに至り教皇パウロ5世に拝謁した。支倉は元和6年(1620)に帰国。
けいちょうこばんきん【慶長小判金】
江戸幕府発行の金貨。慶長6〜元文3年(1601〜1738)通用。慶長小判。
けいちょうちょくはんぼん【慶長勅版本】
慶長年間、後陽成天皇の勅命によって印刷・刊行された木製活字本。日本書紀神代巻・四書・古文孝経・職原鈔などがある。慶長勅版。
けいちょうのえき【慶長の役】
豊臣秀吉が文禄の役で明と和議をしたのち、明使のもたらした表文をめぐって再び慶長2年(1597)正月に朝鮮に出兵した戦役。翌年秀吉の死後に撤兵した。→文禄 (ぶんろく) の役
けいちょうのおおじしん【慶長の大地震】
1 慶長9年12月(1605年2月)に発生した大規模な地震。犬吠埼から九州にかけての太平洋岸で津波が発生し、多数の死者を出した。東海・南海・東南海連動型地震と考えられる。地震の規模はマグニチュード7.9。慶長地震。→連動地震 2 慶長元年(1596)閏7月、近畿地方を襲った大地震。京都と伏見の間は特に被害が大きく、伏見城の天守閣や石垣、方広寺の大仏などが崩れ、余震は翌年4月まで続いた。慶長伏見地震。 [補説]慶長年間には各地で大規模な地震が頻発した。慶長年間に発生した主な地震和暦西暦名称被災地域規模被害慶長元年閏7月9日1596年9月1日慶長豊後地震豊後M7.0大津波が来襲し別府湾沿岸で家屋がほとんど流失。死者708人。慶長元年閏7月13日1596年9月5日慶長伏見地震畿内M7.5伏見城天守閣が大破。石垣が崩れ500余人圧死。堺で死者600余人。慶長9年12月16日1605年2月3日慶長地震東海・南海・西海諸道M7.9津波が犬吠埼から九州まで太平洋岸に来襲。死者多数。慶長16年8月21日1611年9月27日慶長会津地震会津M6.9若松城下などで寺社・家屋が倒壊し死者3700余人。慶長16年10月28日1611年12月2日慶長三陸地震三陸沿岸・北海道東岸M8.1沿岸で家屋が多数流出。伊達領内で死者1783人。北海道東部でも溺死者多数。