・・・と、ちょうど我が子が遠方から帰ってきたように、しんせつにしてくださいました。 年子は、先生の姿が見えないのを、もどかしがっていると、お母さんは、おちついた態度で、静かに、先生は、もうこの世の人でないこと、なくなられてから、はや、半年あま・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
・・・ 少し我が儘なところのある彼の姉と触れ合っている態度に、少しも無理がなく、――それを器用にやっているのではなく、生地からの平和な生まれ付きでやっている。信子はそんな娘であった。 義母などの信心から、天理教様に拝んでもらえと言われると・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・しかし結局、彼はそんな人びとから我が儘だ剛情だと言われる以外のやり方で、物事を振舞うすべを知らなかったのだ。 彼らは東京の郊外につつましい生活をはじめた。櫟林や麦畠や街道や菜園や、地形の変化に富んだその郊外は静かで清すがしかった。乳牛の・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・「それに何だか我が折れて愚に還ったような風も見えるだ。それを見ると私も気の毒でならん、喧まし人は矢張喧しゅうしていてくれる方が可えと思いなされ」「今夜見舞に行ってみようかしらん」「是非来なさるが可え、関うもんか!」「うん……・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・とか義経だとか、十三四にもなりながらばかげた腕白を働らいて大あばれに荒れ、ついに喉が渇いてきたので、山のすぐ麓にある桂正作の家の庭へ、裏山からドヤドヤと駈下りて、案内も乞わず、いきなり井戸辺に集まって我がちにと水を汲んで呑んだ。 すると・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・ 急を聞いて馳せつけた四条金吾が日蓮の馬にとりついて泣くのを見て、彼はこれを励まして、「この数年が間願いし事是なり。此の娑婆世界にして雉となりし時は鷹につかまれ、鼠となりし時は猫にくらわれ、或いは妻子に、敵に身を捨て、所領に命を失いし事・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・釈迦の予言によれば、釈迦滅後、五百歳ずつを一区画として、正法千年、像法千年を経て第五の末法の五百年に、「我が法の中に於て、闘諍言訟して白法隠没せん」時ひとり大白法たる法華経を留めて「閻浮提に広宣流布して断絶せしむることなし」と録されてある。・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・その別に取立てて云うほどの何があるでも無い眼を見て、初めて夫がホントに帰って来たような気がし、そしてまた自分がこの人の家内であり、半身であると無意識的に感じると同時に、吾が身が夫の身のまわりに附いてまわって夫を扱い、衣類を着換えさせてやった・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・つまらなくなり、あくびの涙がつつと頬を走って流れても、それにかまわず、ぼんやり庭の向うの麦畑を眺めて、やがて日が暮れるというような、半病人みたいな生活をしているのだから、いま、ただちに勇んで、たのしい我が家に引き返そうという気力も出て来ない・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・さらばよ。我がロシア。附言。本文中二箇所の字句を改刪してある。これは諷刺の意を誤解せられては差支えるので、故意に原文に従わなかったのである。誤訳ではない。 著:ディモフオシップ 訳:森鴎外 「襟」
出典:青空文庫