・・・ 社のガラス戸を開けて戸外に出る。終日の労働で頭脳はすっかり労れて、なんだか脳天が痛いような気がする。西風に舞い上がる黄いろい塵埃、侘しい、侘しい。なぜか今日はことさらに侘しくつらい。いくら美しい少女の髪の香に憧れたからって、もう自分ら・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・先ず一番の基礎的な事柄は教場でやらないで戸外で授ける方がいい。例えばある牧場の面積を測る事、他所のと比較する事などを示す。寺塔を指してその高さ、その影の長さ、太陽の高度に注意を促す。こうすれば、言葉と白墨の線とによって、大きさや角度や三角函・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・女中部屋の方では陽気な笑声がもれる。戸外の景色に引きかえて此処はいつものように平和である。 嵐の話になって婆さんは古い記憶の中から恐ろしくも凄かった嵐を語る。辰さんが板敷から相槌をうつ。いつかの大嵐には黒い波が一町に余る浜を打上がって松・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・家の中はもう真暗になっているが、戸外にはまだ斜にうつろう冬の夕日が残っているに違いない。ああ、三味線の音色。何という果敢い、消えも入りたき哀れを催させるのであろう。かつてそれほどに、まだ自己を知らなかった得意の時分に、先生は長たらしい小説を・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・もっとも夏の真午だからあまり人が戸外に出る必要のない時間だったのでしょう、私がここに着いたのはちょうど十二時少し過でありました。二階へ上って長い廊下のはずれに見える会場の入口から中の方を見渡すと、少し人の頭が黒く見えたぐらいで、市内がヒッソ・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・ もう戸外はすっかり真っ暗になってしまった。此だだっ広い押しつぶしたような室は、いぶったランプのホヤのようだった。「いつ頃から君はここで、こんな風にしているの」私は努めて、平然としようと骨折りながら訊いた。彼女は今私が足下の方に踞っ・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・其内外の趣意を濫用して、男子の戸外に奔走するは実業経営社会交際の為めのみに非ず、其経営交際を名にして酒を飲み花柳に戯るゝ者こそ多けれ。朝野の貴顕紳士と称する俗輩が、何々の集会宴会と唱えて相会するは、果して実際の議事、真実の交際の為めに必要な・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・官用にもせよ商用にもせよ、すべて戸外公共の事に忙しくして家内を顧みるに遑あらず。外には活溌にして内には懶惰、台所の有様を知らず、玄関の事情を知らず、子供の何を喰らい何を着るを知らず、家族召使の何を楽しみ何を苦しむを知らず。早朝に家を出て夜に・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・ 十二月の晴々した日かげは、斜めに明るく彼等の足許を照し、新しい家の塗料の微かな匂いと花の呼吸するほのかな香とが、冬枯れた戸外を見晴す広縁に漂った。〔一九二五年五月〕 宮本百合子 「或る日」
・・・彼は彼女のその歎声の秘められたような美しさを聴くために、戸外から手に入る花という花を部屋の中へ集め出した。 薔薇は朝毎に水に濡れたまま揺れて来た。紫陽花と矢車草と野茨と芍薬と菊と、カンナは絶えず三方の壁の上で咲いていた。それは華やかな花・・・ 横光利一 「花園の思想」
出典:青空文庫