・・・マナーが――態度及び挙止動作が――ノッペリしている人間で、手を出して握手をしたりする。下層社会の女などがよくあの人は様子が宜いということをいうが、様子が宜い位で女に惚れられるのは、男子の不面目だと思います。様子が宜いというのは、人を外らさな・・・ 夏目漱石 「模倣と独立」
・・・僕の心の中では固くその人物と握手をし、「私の愛する親友!」と云おうとして居る。然るにその瞬間、不意に例の反対衝動が起って来る。そして逆に、「この馬鹿野郎!」と罵る言葉が、不意に口をついて出て来るのである。しかもこの衝動は、避けがたく抑えるこ・・・ 萩原朔太郎 「僕の孤独癖について」
・・・急いではねをひろげ姿勢を直し、大尉の居る方を見ましたが、またいつかうとうとしますと、こんどは山烏が鼻眼鏡などをかけてふたりの前にやって来て、大尉に握手しようとします。大尉が、いかんいかん、と云って手をふりますと、山烏はピカピカする拳銃を出し・・・ 宮沢賢治 「烏の北斗七星」
・・・ともだちになろう、さあ、握手しよう。」 じいさんはぼろぼろの外套の袖をはらって、大きな黄いろな手をだしました。恭一もしかたなく手を出しました。じいさんが「やっ、」と云ってその手をつかみました。 するとじいさんの眼だまから、虎のように・・・ 宮沢賢治 「月夜のでんしんばしら」
・・・ 祭司次長がすぐ進んで握手しました。みんなは歓呼の声をあげ熱心に拍手してこの新らしい信者を迎えたのです。 すると異教席はもうめちゃめちゃでした。まっ黒になって一ぺんに立ちあがり一ぺんに壇にのぼって「悔い改めます。許して下さい。私・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ その文化委員の婦人労働者は手紙を見ると、黙って私の方へ手をさし出し、きつく、情をこめて握手をした。「――みんな見せますよ、見てお国の婦人労働者に話してやって下さい、ね。ソヴェト同盟ではわたしたちがどんなに生活するようになったか」・・・ 宮本百合子 「明るい工場」
・・・そうしたら、インガは、ここでは握手しないことになってますからと云って断った。 今、話してるグラフィーラとドミトリーのところへ、インガが入って来た。つとめて落付いた顔つきで、快活にインガは云った。「すっかりうまく落つきましたか? 何て・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・芥川さんは胴震いをやっと奥歯でくいしめていると、そこへ出て来た主人である文人が握手した手はしんから暖く、芥川さんは部屋の寒さとくらべて大変意外だったそうです。 どうしてそんな手をしてこの火の気のない室に莞爾としていられるのかと、猶も胴ぶ・・・ 宮本百合子 「裏毛皮は無し」
・・・操縦士と夕べは握手して、ウィスキイを二人で飲みました。愉快でしたよそのときは。」 自信に満ちた栖方の笑顔は、日常眼にする群衆の憂鬱な顔とはおよそかけ放れて晴れていた。「潜水艦にもかけてみましたが、これは、うっかりして、後尾へ当っちゃ・・・ 横光利一 「微笑」
・・・戸の外で己は握手して覚えず丁寧に礼をした。 暫くしてから海面の薄明りの中で己はエルリングの頭が浮び出てまた沈んだのを見た。海水は鈍い銀色の光を放っている。 己は帰って寝たが、夜どおしエルリングが事を思っていた。その犯罪、その生涯の事・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
出典:青空文庫