もとおりうちとお【本居内遠】
[1792〜1855]江戸後期の国学者。名古屋の人。号、榛園 (はりぞの) 。豊穎 (とよかい) の父。本居大平の養子となり、紀州侯に仕えた。著「落葉の錦」など。
もとおりおおひら【本居大平】
[1756〜1833]江戸後期の国学者。伊勢の人。号、藤垣内 (ふじのかきつ) 。宣長に入門し、のち、その養子となる。紀州侯に仕え、宣長の学問を継承し、普及に努めた。著「古学要」「神楽歌新釈」「玉鉾百首解」など。
もとおりとよかい【本居豊穎】
[1834〜1913]国学者・歌人。内遠の長男で、宣長の曽孫にあたる。紀州侯に仕え、明治維新後は神道界で活動。著「古今集講義」など。
もとおりながよ【本居長世】
[1885〜1945]作曲家。東京の生まれ。宣長 (のりなが) の子孫。大正から昭和初期の童謡作曲家として活躍した。代表作「赤い靴」「七つの子」「十五夜お月さん」など。
もとおりのりなが【本居宣長】
[1730〜1801]江戸中期の国学者。国学の四大人の一人。伊勢の人。号、舜庵(春庵)・鈴屋 (すずのや) 。京都に出て医学を修める一方、源氏物語などを研究。のち賀茂真淵に入門、古道研究を志し、「古事記伝」の著述に30余年専心。また、「てにをは」や用言の活用などの語学説、「もののあはれ」を中心とする文学論、上代の生活・精神を理想とする古道説など、多方面にわたって研究・著述に努めた。著「うひ山ぶみ」「石上私淑言 (いそのかみささめごと) 」「詞の玉緒」「源氏物語玉の小櫛 (おぐし) 」「古今集遠鏡」「玉勝間」「鈴屋集」など。 小林秀雄の長編評論。昭和40年(1965)から昭和51年(1976)まで「新潮」誌に連載。最終章を書き下ろし、全体を調整した上で、昭和52年(1977)刊行。翌年、第10回日本文学大賞受賞。
もとおりはるにわ【本居春庭】
[1763〜1828]江戸後期の国学者。伊勢の人。号、後鈴屋 (のちのすずのや) 。宣長の長男。眼病を患って失明したため、父の養子大平に家督を譲り、自らは鍼医 (はりい) を業としながら歌道・国学を教授した。著「詞通路 (ことばのかよいじ) 」「詞八衢 (ことばのやちまた) 」「後鈴屋集」など。