はしもとおさむ【橋本治】
[1948〜2019]小説家・イラストレーター。東京の生まれ。学園闘争中の東大の駒場祭ポスター「とめてくれるなおっかさん…」で話題を呼び、イラストレーターとしての活動を始める。のち小説・随筆・評論と活動は多岐にわたり、作品は150冊以上に及ぶ。作品に小説「桃尻娘」「蝶のゆくえ」「桃尻語訳 枕草子」「宗教なんかこわくない!」など。
はしもとがざん【橋本峨山】
[1852〜1900]臨済宗の僧。京都の生まれ。名は昌禎。号、息耕軒。峨山は字 (あざな) 。鹿王院の義堂などに師事。天竜寺管長。天竜寺再興の功労者。
はしもとがほう【橋本雅邦】
[1835〜1908]日本画家。江戸の生まれ。本名、長郷。狩野派に学び、狩野芳崖とは同門。フェノロサ・岡倉天心に認められ、新日本画の確立に尽くす。東京美術学校教授として横山大観・下村観山・菱田春草らを指導。日本美術院創立会員。作「白雲紅樹図」など。
はしもとかんせつ【橋本関雪】
[1883〜1945]日本画家。兵庫の生まれ。本名、貫一。竹内栖鳳 (たけうちせいほう) に師事。四条派の画風に南画などの技法を加味した画風で、関西日本画壇に重きをなした。作「玄猿」など。
はしもとくにひこ【橋本国彦】
[1904〜1949]作曲家。東京の生まれ。欧州へ留学し、シェーンベルクらに師事。日本の現代歌曲の道を開いた。作品に「お菓子と娘」など。
はしもとさない【橋本左内】
[1834〜1859]幕末の志士。福井藩士。名は弘道。号、景岳。緒方洪庵 (おがたこうあん) ・杉田成卿 (すぎたせいけい) らに蘭学・医学を学び、藩主松平慶永 (まつだいらよしなが) に認められ、藩政改革に尽力。将軍継嗣問題では一橋慶喜 (ひとつばしよしのぶ) 擁立に尽力。安政の大獄で斬罪 (ざんざい) に処された。
はしもとし【橋本市】
⇒橋本
はしもとしんきち【橋本進吉】
[1882〜1945]国語学者。福井の生まれ。日本語の歴史的研究に力をそそぎ、音韻史の分野では上代特殊仮名遣いを解明。また、室町時代末の音韻体系をキリシタン資料によって再構した。文法研究の分野では「文節」の概念を理論化し、その文法論は学校文法に採用され、影響力はきわめて大きい。著「国語学概論」「古代国語の音韻について」「吉利支丹教義の研究」「新文典別記」など。
はしもとそうきち【橋本宗吉】
[1763〜1836]江戸後期の蘭学者。大坂の人。名は鄭。字 (あざな) は伯敏。号、曇斎。大槻玄沢に医学・蘭学を学び、蘭書の翻訳と語学教授に当たった。エレキテル(電気)の実験を行い、「阿蘭陀始制エレキテル究理原」などを著した。
はしもとびょう【橋本病】
自己免疫が原因で甲状腺が腫 (は) れる病気。30〜50歳代の女性に多く、慢性に進行し、甲状腺の機能は正常であることが多い。大正元年(1912)外科医の橋本策 (はかる) [1881〜1934]が報告。慢性甲状腺炎。