・・・何たる残刻無情の一語ぞ、自分は今もってこの一語を悔いている。しかしその時は自分もかれの変化があまり情けないので知らず知らずこれを卑しむ念が心のいずこかに動いていたに違いない。『あハハハハハハ』かれも笑った。 不平と猜忌と高慢とですご・・・ 国木田独歩 「まぼろし」
・・・「殺し合いって、無情なもんだなあ!」 彼等は、ぐっと胸を突かれるような気がした。「おい、俺れゃ、今やっと分った。」と吉原が云った。「戦争をやっとるのは俺等だよ。」「俺等に無理にやらせる奴があるんだ。」 誰かが云った。・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・女房コンスタンチェが決闘の前夜、冷たいピストルを抱いて寝て、さてその翌朝、いよいよ前代未聞の女の決闘が開始されるのでありますが、それについて原作者 EULENBERG が、れいの心憎いまでの怜悧無情の心で次のように述べてあります。これを少し・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・自分は幼心に父の無情を憎く思った。 年の暮が近いて、崖下の貧民窟で、提灯の骨けずりをして居た御維新前のお籠同心が、首をくくった。遠からぬ安藤坂上の質屋へ五人連の強盗が這入って、十六になる娘を殺して行った。伝通院地内の末寺へ盗棒が放火をし・・・ 永井荷風 「狐」
・・・冷やかなる鉄筆に無情の壁を彫ってわが不運と定業とを天地の間に刻みつけたる人は、過去という底なし穴に葬られて、空しき文字のみいつまでも娑婆の光りを見る。彼らは強いて自らを愚弄するにあらずやと怪しまれる。世に反語というがある。白というて黒を意味・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・や、その人物たらんを欲し、その学者たらんを願い、終に事実において然らざるは、父母のこれを欲せざるにあらず、他に千種万状の事情ありて、これに妨げらるればなり、故に子を教育するの一事については、只管父母の無情を咎むべからずと。この説あるいは然ら・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・ 例えば私有の権というが如きは、戸外において最も大切なる箇条にして、これを犯すものは不徳のみならず、冷淡無情なる法律においても深く咎むる所なれども、一歩を引いて家の内に入れば甚だ寛かにして、夫婦親子の間に私有を争うものも少なし。家の内に・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」
・・・さるべく候実は愚老懐旧のやるかたなきよりうめき出たる実情にて候代女述意と称する春風馬堤曲十八首に曰くやぶ入や浪花を出て長柄川春風や堤長うして家遠し堤下摘芳草 荊与棘塞路荊棘何無情 裂裙且傷股渓流石点々 蹈石・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・あわれはかなき人の世のうつろいを暗示する姿として自然が文学に描かれ、徳川時代の町人文学の擡頭時代には、すでに万葉時代の暢やかさ、豊醇さは自然の描写から遠く失われ、一方に無情的自然観を伝承していると同時に、町人の遊山の場面として生活に入って来・・・ 宮本百合子 「自然描写における社会性について」
・・・ 勿論、日本にもそんな無情な良人がないことはない。けれども、決して、一般の日本婦人の状態だとは云えない。寧ろ、そんなのは少数の例外で、多くは、良人は妻を扶け、妻は良人を扶けて相偕に生活している、と云いましょう。英語に直訳すれば、まるで何・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
出典:青空文庫