・・・ 赤い篝火の光の中に、艶々と浮び出た二つの乳房は、ほとんどオルガンティノの眼には、情欲そのものとしか思われなかった。彼は泥烏須を念じながら、一心に顔をそむけようとした。が、やはり彼の体は、どう云う神秘な呪の力か、身動きさえ楽には出来なかった・・・ 芥川竜之介 「神神の微笑」
・・・ はや篝火の夜にこそ。 五 笛も、太鼓も音を絶えて、ただ御手洗の水の音。寂としてその夜更け行く。この宮の境内に、階の方から、カタンカタン、三ツ四ツ七ツ足駄の歯の高響。 脊丈のほども惟わるる、あの百日紅の樹・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ 何と絵蝋燭を燃したのを、簪で、その髷の真中へすくりと立てて、烏羽玉の黒髪に、ひらひらと篝火のひらめくなりで、右にもなれば左にもなる、寝返りもするのでございます。 ――こうして可愛がって下さいますなら、私ゃ死んでも本望です―― ・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・震災後も引続き、黒塀の奥深く、竹も樹も静まり返って客を受けたが、近代のある世態では、篝火船の白魚より、舶来の塩鰯が幅をする。正月飾りに、魚河岸に三個よりなかったという二尺六寸の海老を、緋縅の鎧のごとく、黒松の樽に縅した一騎駈の商売では軍が危・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ この辺一帯に襲われているという毒蛾を捕える大篝火が、対岸の河原に焚かれて、焔が紅く川波に映っていた。そうしたものを眺めたりして、私たちはいつまでしても酔の発してこない盃を重ねていた。・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・間違ったのかと思って振り返る――兵站部は燈火の光、篝火の光、闇の中を行き違う兵士の黒い群れ、弾薬箱を運ぶかけ声が夜の空気を劈いて響く。 ここらはもう静かだ。あたりに人の影も見えない。にわかに苦しく胸が迫ってきた。隠れ家がなければ、ここで・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ 大将は篝火で自分の顔を見て、死ぬか生きるかと聞いた。これはその頃の習慣で、捕虜にはだれでも一応はこう聞いたものである。生きると答えると降参した意味で、死ぬと云うと屈服しないと云う事になる。自分は一言死ぬと答えた。大将は草の上に突いてい・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・二十五日の夜、徹宵この敷石道の上をオートバイが疾走し篝火がたかれ、正面階段の柱の間には装弾した機関銃が赤きコサック兵に守られて砲口を拱門へ向けていた。軍事革命委員会の本部だったのである。 今スモーリヌイには、レーニングラード・ソヴェト中・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・ わたし達みんなの路を照らす正しい篝火として、日本プロレタリア文化連盟を守って強く輝しく育てなければならないと思います。〔一九三二年一月〕 宮本百合子 「「モダン猿蟹合戦」」
・・・それだからこそ学生の運動の列伍の周囲には、常に労働者階級をはじめ、あらゆる人々のもっている日本の善意が篝火となって結集して行かずにいかなかったのであると信じます。 支配階級は、すでにこんにち、人民の理性の声にたえ得なくなって来ていま・・・ 宮本百合子 「若き僚友に」
出典:青空文庫