・・・ 夜、一段ひくい納屋の向う側にある便所から帰りに、石段をあがりかけると、僕は、ふと嫂が、窓から顔を出して、苦るしげに、食ったものを吐こうとしている声をきいた。嫂はのどもとへ突き上げて来るものを吐き出してしまおうと、しきりにあせっていた。・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・為吉は納屋の隅から古鍬を出して来た。「それゃ置いときなされ。」ばあさんは、金目になりそうな物はやるのを惜しがった。「こんな物を東京へ持って行けるんじゃなし、イッケシへ預けとく云うたって預る方に邪魔にならア!」「ほいたって置いとい・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・此等の人々を当時は、納屋衆、又は納屋貸衆と云い、それが十人を定員とした時は納屋十人衆などと云ったのであった。納屋とは倉庫のことである。交通の便利は未だ十分ならず、商業機関の発達も猶幼稚であった時に際して、信頼すべき倉庫が、殆んど唯一の此の大・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・牛と豚とは、飼主の納屋に移転したのである。 夜、村のひとたちは頬被りして二人三人ずつかたまってテントのなかにはいっていった。六、七十人のお客であった。少年は大人たちを殴りつけては押しのけ押しのけ、最前列へ出た。まるい舞台のぐるりに張りめ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・海岸の佐々木さんの納屋で、事実、音高く釘を打ちはじめたのです。トカトントン、トントントカトン、とさかんに打ちます。私は、身ぶるいして立ち上りました。「わかりました。誰にも言いません。」花江さんのすぐうしろに、かなり多量の犬の糞があるのを・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・井戸がある。納屋がある。足の小さい年老いた女がおぼつかなく歩いていく。楊樹を透かして向こうに、広い荒漠たる野が見える。褐色した丘陵の連続が指さされる。その向こうには紫色がかった高い山が蜿蜒としている。砲声はそこから来る。 五輛の車は・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ 田舎道を歩いていると道わきの農家の納屋の二階のような所から、この綿弓の弦の音が聞こえてくることがあった。それがやはり四拍子の節奏で「パン/\/\ヤ」というふうに響くのであった。おそらく今ではもうどこへ行ってもめったに聞かれない田園・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・うちには木小屋がついたり、大きな納屋が出来たりしました。 それから馬も三疋になりました。その秋のとりいれのみんなの悦びは、とても大へんなものでした。 今年こそは、どんな大きな粟餅をこさえても、大丈夫だとおもったのです。 そこで、・・・ 宮沢賢治 「狼森と笊森、盗森」
・・・「清作が 納屋にしまった葡萄酒は 順序ただしく みんなはじけてなくなった。」「わっはっはっは、わっはっはっは、ホッホウ、ホッホウ、ホッホウ。がやがやがや……。」「やかましい。きさまら、なんだってひとの酒のことなどおぼえて・・・ 宮沢賢治 「かしわばやしの夜」
・・・そして二人は車を押して黄色のガラスの納屋にキャベジを運んだのだ。青いキャベジがころがってるのはそれはずいぶん立派だよ。 そして二人はたった二人だけずいぶんたのしくくらしていた。」「おとなはそこらに居なかったの。」わたしはふと思い付い・・・ 宮沢賢治 「黄いろのトマト」
出典:青空文庫