・・・しかしはるばる持って行くのがおっくうなので長い間納戸のすみに押し込んだままになっていた。子供もおしまいにはあきらめて蓄音機の事は忘れてしまったようであった。 ある日K君のうちへ遊びに行ったらヴィクトロラの上等のが求めてあって、それで種々・・・ 寺田寅彦 「蓄音機」
・・・地は納戸色、模様は薄き黄で、裸体の女神の像と、像の周囲に一面に染め抜いた唐草である。石壁の横には、大きな寝台が横わる。厚樫の心も透れと深く刻みつけたる葡萄と、葡萄の蔓と葡萄の葉が手足の触るる場所だけ光りを射返す。この寝台の端に二人の小児が見・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・彼プロレタリア作家は暗い納戸で寓話化されたソヴェト同盟を幻想に描くよりさきに、三次の事件を想起すべきであった。しかし彼は村の神社の集りへ出て、鉈をふった平次郎は念頭においたが、三次が集りに来ているかいないかさえ問題にしていない。 同時に・・・ 宮本百合子 「一連の非プロレタリア的作品」
・・・髪の下に、生え際のすんなりした低い額と、心持受け口の唇とがある。納戸の着物を着た肩があって、そこには肩あげがある。 目で見る現在の景色と断れ断れな過去の印象のジグザグが、すーっとレンズが過去に向って縮むにつれ、由子の心の中で統一した。・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・広告にはなくて、深い戸棚つきの納戸があったことは、すっかり我々を御機嫌にさせた。小林さん、金田さんに一日二日手伝って貰い、紀元節の日、半月前には、予想もしなかった引越しを行った。その日は土曜で、翌日が休である為、非常に好都合に行った。 ・・・ 宮本百合子 「又、家」
・・・伊藤は奥納戸役を勤めた切米取りである。四月二十六日に切腹した。介錯は河喜多八助がした。右田は大伴家の浪人で、忠利に知行百石で召し抱えられた。四月二十七日に自宅で切腹した。六十四歳である。松野右京の家隷田原勘兵衛が介錯した。野田は天草の家老野・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・文吉も取って置いた花色の単物に御納戸小倉の帯を締めて、十手早縄を懐中した。 木賃宿の主人には礼金を遣り、摂津国屋へは挨拶に立ち寄って、九郎右衛門主従は六月二十八日の夜船で、伏見から津へ渡った。三十日に大暴風で阪の下に半日留められた外は、・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・ お霜の叫びに納戸からお留が出て来た。秋三は藁小屋から飛び出て来た。そして二人が安次の小屋へ馳けて行くと、お霜はそのまま自分の家へ馳けて帰って勘次に云った。「お前えらいこっちゃ。安次が死によった。折角お粥持っててやったのに、冷とうな・・・ 横光利一 「南北」
・・・ その夜、納戸で父親と母親とは寝ながら相談した。「吉を下駄屋にさそう。」 最初にそう父親が言い出した。母親はただ黙ってきいていた。「道路に向いた小屋の壁をとって、そこで店を出さそう、それに村には下駄屋が一軒もないし。」 ・・・ 横光利一 「笑われた子」
出典:青空文庫