・・・これは恐らく、彼の満足が、暗々の裡に論理と背馳して、彼の行為とその結果のすべてとを肯定するほど、虫の好い性質を帯びていたからであろう。勿論当時の彼の心には、こう云う解剖的な考えは、少しもはいって来なかった。彼はただ、春風の底に一脈の氷冷の気・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・一言すれば二葉亭は能く外国思想に熟していたが、同時にやはり幼時から染込んだ東洋思想を全く擺脱する事が出来ないで、この相背馳した二つの思想の※着が常に頭脳に絶えなかったであろう。二葉亭が遊戯分子というは西鶴や其蹟、三馬や京伝の文学ばかりを指す・・・ 内田魯庵 「二葉亭四迷」
・・・剣聖の心境に背馳すること千万なり。十九、恥ずかしながらわが敵は、廚房に在り。之をだまして、怒らせず、以てわが働きの貧しさをごまかそうとするのが、私の兵法の全部である。之と争って、時われに利あらず、旗を巻いて家を飛び出し、近くの井の頭公園・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・それはとにかく彼がミュンヘンの小学で受けたローマカトリックの教義と家庭におけるユダヤ教の教義との相対的な矛盾――因襲的な独断と独断の背馳が彼の幼い心にどのような反応を起させたか、これも本人に聞いてみたい問題である。 この時代の彼の外観に・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・そうして一時は仏説などの因果の考えとは全く背馳する別物であるかのように見えたのが、近ごろはまた著しい転向を示して来て、むしろ昔の因果に逆もどりしそうな趨勢を示すようにも見られるのである。 要するに科学の基礎には広い意味における「物の見方・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・これは一つには自分がだんだん年を取ってすべてのものに対する感興の強度を減らしたためもあるかもしれないが、一つにはまた実際に近頃の二科会の絵の傾向が自分の好みに背馳して来たように思われたためもある。昨年の会など、見ているうちに何だか少しむっと・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・すると彼らには明かに背馳した両面の生活がある事になる。業務についた自分と業務を離れた自分とはどう見たって矛盾である。しかしこの矛盾は生活の性質から出るやむをえざる矛盾だから、形式から云えばいかにも矛盾のようであるけれども、実際の内面生活から・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・ そもそも今日の社会に、いわゆる宗旨なり、徳教なり、政治なり、経済なり、その所論おのおの趣を一にせずして、はなはだしきは相互に背馳するものもあるに似たれども、平安の一義にいたりては相違うなきを見るべし。宗旨・徳教、何のためにするや。善を・・・ 福沢諭吉 「教育の目的」
・・・ このヒューマニズムは、文学を社会的、現実的局面とかたく結ぼうとする意慾、現実では分裂の状態におかれている「知性と感性との統一、背馳している意識と行動とに人間的な統一を与え、すこやかに逞しい人生を発見し、創造しよう」と欲する感情において・・・ 宮本百合子 「十月の文芸時評」
・・・「文学が永久に人情と背馳すべきものだという運命を負っている筈はないと思って」と。 平林さんは隠微な表現で書いておられるが、平林さんのような作家にでも、非人情という云い表わしは、人情と背馳するだけのものとして理解されるということに、私は反・・・ 宮本百合子 「パァル・バックの作風その他」
出典:青空文庫