・・・あいにくの吹き降りで、不二見村の往還から寺の門まで行く路が、文字通りくつを没するほどぬかっていたが、その春雨にぬれた大覇王樹が、青い杓子をべたべたのばしながら、もの静かな庫裡を後ろにして、夏目先生の「草枕」の一節を思い出させたのは、今でも歴・・・ 芥川竜之介 「樗牛の事」
・・・、「坊ちやん」、「草枕」、「ロンドン塔」、「カーライル博物館」、こんなものが好きだ。 要するに夏目さんは、感覚の鋭敏な人、駄洒落を決して言わぬ人、談話趣味の高級な人、そして上品なウイットの人なのである。我が文壇にはこの方面で独自の人であ・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・さては五十鈴の流れ二見の浜など昔の草枕にて居眠りの夢を結ばんとすれどもならず。大府岡崎御油なんど昔しのばるゝ事多し。豊橋も後になり、鷲津より舞坂にかゝる頃よりは道ようやく海岸に近づきて浜名の湖窓外に青く、右には遠州洋杳として天に連なる。漁舟・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・後に『草枕』のモニューメントを築き上げた巨匠の鑿のすさびに彫んだ小品をこの集に見る事が出来る。 先生の俳句を年代順に見て行くと、先生の心持といったようなものの推移して行った迹が最もよく追跡されるような気がする。人に読ませるための創作意識・・・ 寺田寅彦 「夏目先生の俳句と漢詩」
・・・この一巻に収められている「草枕」「あけぼの」「春は来ぬ」「潮音」「君がこゝろは」「狐のわざ」「林の歌」等いずれも、自然にうち向かって心を傾け物を云いかけ、人か自然か自然か人かというロマンティックな境地にひたって作者は自然を擬人化し、それに対・・・ 宮本百合子 「藤村の文学にうつる自然」
・・・ 先生が製作によって生の煩わしさを超脱する心持ちは、私の記憶では、『草枕』や『道草』などに描かれていたと思う。一三 私はきわめて概括的な、そのくせバラバラになった観察を書いた。もともと先生の芸術について適切な評論をなし得・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
・・・「草枕」の画かきさんはこの世を「住みにくい国」と言う。画かきさんは芸術をもってこの世を住みよくし浮世の有象無象を神経衰弱より救うつもりである。春の、ホコホコと暖かい心持ちのよい日に、春の海を眺め春の山を望みボケの花の中で茫然として無我の・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫