・・・が、菊池はショオのように、細い線を選ぶよりも、太い線の画を描いて行った。その画は微細な効果には乏しいにしても、大きい情熱に溢れていた事は、我々友人の間にさえ打ち消し難い事実である。この事実の存する限り、如何に割引きを加えて見ても、菊池の力量・・・ 芥川竜之介 「「菊池寛全集」の序」
・・・ああ云う雑誌社に作品を売るのは娘を売笑婦にするのと選ぶ所はない。けれども今になって見ると、多少の前借の出来そうなのはわずかにこの雑誌社一軒である。もし多少の前借でも出来れば、―― 彼はトンネルからトンネルへはいる車中の明暗を見上げたなり・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・同時に又我々の信念も三越の飾り窓と選ぶところはない。我々の信念を支配するものは常に捉え難い流行である。或は神意に似た好悪である。実際又西施や竜陽君の祖先もやはり猿だったと考えることは多少の満足を与えないでもない。 自由意志と宿命・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・衝動の醇化ということが不可能であるをもって、この二つに一つのいずれかを選ぶほかはない。私はブルジョア階級の崩壊を信ずるもので、それが第四階級に融合されて無階級の社会の現出されるであろうことを考えるものであるけれども、そしてそういう立場にある・・・ 有島武郎 「想片」
・・・だからおまえ、本気になってこの五人の中から選ぶんだ。そこに行くと俺たちボヘミヤンは自由なものだ。ともちゃんだって、俺たちの仲間になってくれてる以上はボヘミヤンだ。ねえ。そうだろう。かまわないから選びたまえ。俺たちはたとい選にもれても、ストイ・・・ 有島武郎 「ドモ又の死」
・・・空想し易く、ものを見るのに比較的無差別であり、何ものにも同情し易いからにもよるが、それにしても、いろいろな意味で、境遇に従って話の題材を選ぶことは自然であると考えられるからです。また、題材の如何が、子供達に与える興味に関係することも勿論であ・・・ 小川未明 「童話を書く時の心」
・・・金持の子供であろうと、また、貧乏人の子供であろうと選ぶところがないのだ。 それが、学校へ入った時分から各の環境によって、異って来る。社会の造った生活というものを知るからだ。 なぜ、こんな正しい、善良な、無邪気な子供が、こうしたよくな・・・ 小川未明 「人間否定か社会肯定か」
・・・スタンダールとしても、後世引用されると思えば恐らくそんな墓銘を選ぶのを避けたに違いない。 墓銘とか辞世とか遺書とかいうものを、読むのを私は好まない。死ということは甚だ重要だから、何か書いて残したい気持はよく判るし、せめてそれによってやが・・・ 織田作之助 「中毒」
・・・まして価値に高さと強さとの二次元を認める以上、高くても弱い価値と、低くても強い価値といずれを選ぶべきかは必ず懐疑に陥れる。大衆を啓蒙すべきか、二、三の法種を鉗鎚すべきか、支那の飢饉に義捐すべきか、愛児の靴を買うべきかはアプリオリに選択できる・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・ただこの場合において一、二の注意を述べるなら、職能に関する読書はその部門の全般にわたる鳥瞰が欠くべからざるものであるが、そのあいだにもおのずと自分の特に関心し、選ぶ種目への集注的傾向が必要である。何事かを好み、傾くということがそのことへの愛・・・ 倉田百三 「学生と読書」
出典:青空文庫