・・・ 私はそのおきぬさんの家の庭の泉石を隔てたお亭のなかに暮らしていたのであった。私は何だかその土地が懐かしくなってきた。「せめて須磨明石まで行ってみるかな」私は呟いた。「は、叔父さんがお仕事がおすみでしたら……」桂三郎は応えた。・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・どの国もどの国も陸海軍を拡げ、税関の隔てあり、兄弟どころか敵味方、右で握手して左でポケットの短銃を握る時代である。窮屈と思い馬鹿らしいと思ったら実に片時もたまらぬ時ではないか。しかしながら人類の大理想は一切の障壁を推倒して一にならなければ止・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ 一時、わたくしの仮寓していた家の裏庭からは竹垣一重を隔て、松の林の間から諏訪田の水田を一目に見渡す。朝夕わたくしはその眺望をよろこび見るのみならず、時を定めず杖をひくことにしている。桃や梨を栽培した畠の藪垣、羊の草をはんでいる道のほと・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ 竹籠に熱き光りを避けて、微かにともすランプを隔てて、右手に違い棚、前は緑り深き庭に向えるが女である。「画家ならば絵にもしましょ。女ならば絹を枠に張って、縫いにとりましょ」と云いながら、白地の浴衣に片足をそと崩せば、小豆皮の座布団を・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・ 中庭を隔てた対向の三ツ目の室には、まだ次の間で酒を飲んでいるのか、障子に男女二個の影法師が映ッて、聞き取れないほどの話し声も聞える。「なかなか冷えるね」と、西宮は小声に言いながら後向きになり、背を欄干にもたせ変えた時、二上り新内を・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・一地方にありて独立独行、百事他人に殊なりと称する人にても、その言語には方言を用い、壁を隔ててこれを聞くも、某地方の人たるを知るべし。今この方言は誰れに学びたりやと尋ぬるに、これを教えたる者なし。教うる者なくしてこれを知る。すなわち地方の空気・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・己はお前達の美に縛せられて、お前達を弄んだお蔭で、お前達の魂を仮面を隔てて感じるように思った代には、本当の人生の世界が己には霧の中に隠れてしまった。お前達が自分で真の泉の辺の真の花を摘んでいながら、己の体を取り巻いて、己の血を吸ったに違いな・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・垣から覗いて見ようと思うにも、川の隔てがあるからそれも出来ん。」「ヤア目出とう。お前いつお帰りたか。」「今帰ったばかりサ。道後の三階というのはこれかナ。あしゃアこの辺に隠居処を建てようと思うのじゃが、何処かええ処はあるまいか。」「爰処は・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・それが、あんな、海から三十里もある山脈を隔てた野原などに生えるのは、おかしいとみんな云うのです。ある人は、新聞に三つの理由をあげて、あの茨海の野原は、すぐ先頃まで海だったということを論じました。それは第一に、その茨海という名前、第二に浜茄の・・・ 宮沢賢治 「茨海小学校」
・・・ 日本女はリノリューム敷の通路を隔て左側の坐席にいる四十ばかりの太い拇指をした男にきいた。 ――彼女の演説、長うござんしたか? ――我々ソヴェトの人間は短く話すのが得手でないんでね。 そう云って笑った。それから真面目につけ加・・・ 宮本百合子 「三月八日は女の日だ」
出典:青空文庫