・・・ ある日雨漏りの修繕に、村の知合の男を一日雇ってきた。彼は二間ほどもない梯子を登り降りするのに胸の動悸を感じた。屋根の端の方へは怖くて近寄れもせなかった。その男は汚ない褌など露わして平気でずぶずぶと凹む軒端へつくばっては、新しい茅を差し・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・の句では戸外に荒るる騒音の中から盥に落つる雨漏りの音をクローズアップに写し出したものである。またたとえば芭蕉は時鳥の声により、漱石は杭打つ音によって広々とした江上の空間を描写した。「咳声の隣はちかき縁づたい」に「添えばそうほどこくめんな顔」・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・のどこかはなやかに明るくまたなまめかしい雰囲気と対照されてこの雨漏りのわびしさがいっそう強調される。一方ではまたこの「蜂の巣」の雨にぬれそぼちた姿がはっきりした注意の焦点をなして全句の感じを強調している。この句を詠んだ芭蕉は人間であると同時・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・論より証拠、先ず試みに『詩経』を繙いても、『唐詩選』、『三体詩』を開いても、わが俳句にある如き雨漏りの天井、破れ障子、人馬鳥獣の糞、便所、台所などに、純芸術的な興味を托した作品は容易に見出されない。希臘羅馬以降泰西の文学は如何ほど熾であった・・・ 永井荷風 「妾宅」
木村は役所の食堂に出た。 雨漏りの痕が怪しげな形を茶褐色に画いている紙張の天井、濃淡のある鼠色に汚れた白壁、廊下から覗かれる処だけ紙を張った硝子窓、性の知れない不潔物が木理に染み込んで、乾いた時は灰色、濡れた時は薄墨色・・・ 森鴎外 「食堂」
出典:青空文庫