・・・』と首を出したのは江藤という画家である、時田よりは四つ五つ年下の、これもどこか変物らしい顔つき、語調と体度とが時田よりも快活らしいばかり、共に青山御家人の息子で小供の時から親の代からの朋輩同士である。 時田は朱筆を投げやって仰向けになり・・・ 国木田独歩 「郊外」
・・・新町から青山くんだりまで三円ばかしのお金を取りに来るような暇はない身体ですよ。意気地がないから親一人妹一人養うことも出来ずさ、下宿屋家業までさして置いて忠孝の道を児童に教えるなんて、随分変った先生様もあるものだね。然しお政さんなんぞは幸福さ・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・村田実君は青山杉作君の親鸞に唯円を勤めて、自分が監督して京都でやった。後帝劇で舞台協会の山田、森、佐々木君等がはなばなしくやった。今の岡田嘉子がかえでをやった。夏川静枝も処女出演した。 上演は入りは超満員だったが、芝居そのものは、どうも・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・そこは次郎と三郎とでくわしい見取り図まで取って来た家で、二人ともひどく気に入ったと言っていた。青山五丁目まで電車で、それから数町ばかり歩いて行ったところを左へ折れ曲がったような位置にあった。部屋の数が九つもあって、七十五円なら貸す。それでも・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・日ごろ人なつこく物に感じやすい次郎がその告別式から引き返して来た時は、本郷の親戚の家のほうに集まっていた知る知らぬ人々、青山からだれとだれ、新宿からだれというふうに、旧知のものが並んですわっているところで、ある見知らぬ婦人から思いがけなく声・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・人間到るところに青山、と気をゆったり持って落ちつかなければならぬ。私は一生、路傍の辻音楽師で終るのかも知れぬ。馬鹿な、頑迷のこの音楽を、聞きたい人だけは聞くがよい。芸術は、命令することが、できぬ。芸術は、権力を得ると同時に、死滅する。 ・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・人間到るところに青山があるとか書生さんたちがよく歌っているじゃありませんか。いちど、あたしと一緒に漢陽の家へいらっしゃい。生きているのも、いい事だと、きっとお思いになりますから。」「漢陽は、遠いなあ。」いずれが誘うともなく二人ならんで廟・・・ 太宰治 「竹青」
・・・その後に、ある日K君と青山の墓地を散歩しながら、若葉の輝く樹冠の色彩を注意して見ているうちに、この事を思い出して話すと、K君は次のような話をしてくれた。ゴンクールの小説に、ある女優が舞台を退いて某貴族と結婚したが、再びもとの生活が恋しくなる・・・ 寺田寅彦 「自画像」
・・・ E君に青山の小宮君の留守宅の様子を見に行ってもらった。帰っての話によると、地震の時長男が二階に居たら書棚が倒れて出口をふさいだので心配した、それだけで別に異状はなかったそうである、その後は邸前の処に避難していたそうである。 夜警で・・・ 寺田寅彦 「震災日記より」
僕は武蔵野の片隅に住んでいる。東京へ出るたびに、青山方角へ往くとすれば、必ず世田ヶ谷を通る。僕の家から約一里程行くと、街道の南手に赤松のばらばらと生えたところが見える。これは豪徳寺――井伊掃部頭直弼の墓で名高い寺である。豪・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
出典:青空文庫