・・・などは、早苗姫が自殺してからの信玄の心理的経路が鮮明に描かれていなかったらしい為に、肝心の幕切れで、信玄と云う人格、早苗姫の死が、一向栄えないものになったように見える。 作者は、所々で、信玄を、英雄的概念から脱した人間らしい一性格として・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・シートンの熊の生活の報告、狐の話その他何と鮮明に語られていることだろう。ところが、シートンの相当な読者であった私は、大きい疑問をこの著者の報告の科学的な良心に対して抱く一つの物語をよまされた。それは、バルザックが「砂漠の情熱」という題で書い・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・客観的に描かれてみれば誰の目にも、そういう命令の与えかたのむごさははっきりしたのだけれども、そのむごさが鮮明に感銘されればされるほど、そういうものを書くのは忘恩的だという判断が、わたしに向けられた。そんなにその頃は、絶対性が卒業生の気分を支・・・ 宮本百合子 「歳月」
・・・という論文を骨子として、反プロレタリア文学の鮮明な幟色の下に立った。同人としては中村武羅夫、岡田三郎、加藤武雄、浅原六朗、龍胆寺雄、楢崎勤、久野豊彦、舟橋聖一、嘉村礒多、井伏鱒二、阿部知二、尾崎士郎、池谷信三郎等の人々であった。中村武羅夫の・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・西向きの一室、その前は植込みで、いろいろな木がきまりなく、勝手に茂ッているが、その一室はここの家族が常にいる室だろう、今もそこには二人の婦人が…… けれどまず第一に人の眼に注まるのは夜目にも鮮明に若やいで見える一人で、言わずと知れた妙齢・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・此のため官能的表徴は感覚的表徴よりもより直截で鮮明な印象を実感さす。が、実は感覚的表徴のそれのごとく象徴せられた複合的綜合的統一体なる表徴能力を所有することは不可能なことである。此の故官能表徴は表象能力として直接的であるそれだけ単純で、感覚・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・人間は誰でも少しは狂人を自分の中に持っているものだという名言は、忘れられないことの一つだが、中でもこれは、かき消えていく多くの記憶の中で、ますます鮮明に膨れあがって来る一種異様な記憶であった。 それも新緑の噴き出て来た晩春のある日のこと・・・ 横光利一 「微笑」
・・・ちょうど無色透明で歪みのない窓ガラスが外の景色を最も鮮やかに見せてくれるように、表現の透明さは作者の現わそうとするものを最も鮮明に見せてくれる。また透明であればあるほどそこにガラスのあることが気づかれないと同様に、透明な表現もその表現の苦心・・・ 和辻哲郎 「歌集『涌井』を読む」
・・・そうすることによってそれぞれの物が鮮明に見え、その物の持つ意義が読み取られ得るのである。自分にとって鮮明でないからといってその物を無意義とするのは単なる主観主義に過ぎない。それはまた幼稚の異名である。我々は日本の文化の現状がまだこの幼稚の段・・・ 和辻哲郎 「城」
・・・私は利己主義の悪と醜さとをかくまで力強く鮮明に描いた作を他に知らない。また執拗な利己主義を窒息させなければやまない正義の重圧の気味悪い底力も、前者ほど突っ込んではないが、力を入れて描いてある。次の『道草』においても利己主義は自己の問題として・・・ 和辻哲郎 「夏目先生の追憶」
出典:青空文庫