・・・けれども豚は続々くる。黒雲に足が生えて、青草を踏み分けるような勢いで無尽蔵に鼻を鳴らしてくる。 庄太郎は必死の勇をふるって、豚の鼻頭を七日六晩叩いた。けれども、とうとう精根が尽きて、手が蒟蒻のように弱って、しまいに豚に舐められてしまった・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・ 見る物がなくなって、空を見ると、黒雲と白雲と一面に丑寅の方へずんずんと動いて行く。次第に黒雲が少くなって白雲がふえて往く。少しは青い空の見えて来るのも嬉しかった。 例の三人の子供は復我垣の外まで帰って来た。今度はごみため箱の中へ猫・・・ 正岡子規 「飯待つ間」
・・・さあ僕等はもう黒雲の中に突き入ってまわって馳けたねえ、水が丁度漏斗の尻のようになって来るんだ。下から見たら本当にこわかったろう。『ああ竜だ、竜だ。』みんなは叫んだよ。実際下から見たら、さっきの水はぎらぎら白く光って黒雲の中にはいって、竜・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・どんどんかける黒雲の間から、その尖った耳と、ぎらぎら光る黄金の眼も見えます。 西の方の野原から連れて来られた三人の雪童子も、みんな顔いろに血の気もなく、きちっと唇を噛んで、お互挨拶さえも交わさずに、もうつづけざませわしく革むちを鳴らし行・・・ 宮沢賢治 「水仙月の四日」
・・・ 権兵衛茶屋のわきから蕎麦ばたけや松林を通って、煙山の野原に出ましたら、向うには毒ヶ森や南晶山が、たいへん暗くそびえ、その上を雲がぎらぎら光って、処々には竜の形の黒雲もあって、どんどん北の方へ飛び、野原はひっそりとして人も馬も居ず、草に・・・ 宮沢賢治 「鳥をとるやなぎ」
・・・龍があの黒雲にのって口をかっとひらいて火をふく所なんかはたまらなくいいけどもマアただの蛇がまっさおにうろこを光らして口から赤い舌をペロリペロリと出す事なんかもあたしゃだいすきさ、いいネエ……」 そのすごく光る目をあこがれる様に見はってお・・・ 宮本百合子 「お女郎蜘蛛」
・・・ かわりがわり本気で窓から空模様をうかがっている。黒雲は段々ひろがった。やがて若葉の裏を翻して暗く重く風が渡り、暗澹とした夕立空の前にクッキリ白い火見櫓が立ち、頂上のガラスを鈍く光らせたと思うと、パラリ、パラリ大粒なのが落ちて来た。自分・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・丁度、月の光りに浸された原野の真上のところに、二流れ黒雲があった。細く長く、相対して二頭の龍が横わっている通りだ。左手の黒龍の腹の下に一点曇りなき月が浮かんでいる。やや小ぶりな右手の龍が、顎をひらき、その月を欲して咬み合う勢を示した。左手の・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
・・・ふつう人の生活からひきあげられた便乗は、底の見とおせない独占資本とそれにつながる閣僚・官僚生活の黒雲のなかに巻きあげられて、魔もののようにとび交っている。 この頃、新聞に閣僚や官僚の不正利得が摘発された記事がでるようになった。罪のな・・・ 宮本百合子 「便乗の図絵」
・・・議会は、そして全日本は、再び黒雲に閉されるのである。供出に対する強権発動によって、地方では首を吊る者が出ている。米がなければ身ぐるみ剥ぐといわれ、それが行われている。「勅令」によってこのことが行われているのである。 主権在民の憲法が、偽・・・ 宮本百合子 「矛盾とその害毒」
出典:青空文庫