出典:gooニュース
ジャイアント馬場、アントニオ猪木を育てた力道山が生誕100年 “エンタメの祖”が残した栄光の足跡
彼の弟子にはジャイアント馬場やアントニオ猪木といったレジェンドが名を連ね、のちに馬場が「全日本プロレス」を、猪木が「新日本プロレス」を設立した。両団体は日本プロレス独特の文化である“真剣勝負”という芯を受け継ぎ、他ジャンルの格闘技選手と「異種格闘技戦」をおこなうなど独自のスタイルで進化していく。
アントニオ猪木 ストロング小林戦の2日後に弾丸渡米し王座防衛!
その中でも無類の強さを発揮したのが“燃える闘魂”アントニオ猪木だ。 1978年の欧州遠征では23日で20戦というハードスケジュールに苦闘を強いられたが、74年3月19日、蔵前国技館で行われた“昭和の巌流島”と呼ばれたストロング小林との歴史的一戦に劇勝すると、何と2日後には米オハイオ州クリーブランドへ渡り、206センチ148キロの大男“毒グモ”アーニー・ラッドと防衛戦を敢行している。
イノキアイランドでのアントニオ猪木との思い出語る
50以上のダイビングスポットやキレイなサンゴ礁に加え、プロレス界としてはアントニオ猪木さんがオーナーを務めていたイノキアイランドという島が有名観光地になっている。パラオは様々なレスラーが特訓を積んできた土地でもあり、2004年には新日本プロレスが興行も行った。
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