あらきだ‐もりたけ【荒木田守武】
[1473〜1549]室町後期の連歌・俳諧師。伊勢内宮の神官。宗祇(そうぎ)、猪苗代兼載(いなわしろけんさい)に連歌を学び、連歌から俳諧を独立させる基を作った。著「俳諧独吟百韻」「守武千句」など。
いけだ‐そうたん【池田宗旦】
[1636〜1693]江戸前期の俳人。通称、俵屋孫兵衛。摂津国伊丹(いたみ)の人。伊丹で国文・俳諧を教えた。松井宗旦。
いなづ‐ぎくう【稲津祇空】
[1663〜1733]江戸中期の俳人。大坂の人。別号、敬雨。江戸に出て其角(きかく)に師事。宗祇(そうぎ)を慕い、祇空と号した。その俳諧は法師風といわれ平明であった。
いのうえ‐しろう【井上士朗】
[1742〜1812]江戸中期の俳人・医者。尾張の人。名は正春。別号、枇杷園(びわえん)。俳諧を加藤暁台に学び、国学や絵画にも通じた。著「枇杷園七部集」「枇杷園随筆」など。
いはら‐さいかく【井原西鶴】
[1642〜1693]江戸前期の浮世草子作者・俳人。大坂の人。本名、平山藤五。西山宗因に俳諧を学び、矢数(やかず)俳諧を得意とした。浮世草子では、武士や町人の生活の実態を客観的に描き、日本最初...
えばら‐たいぞう【潁原退蔵】
[1894〜1948]国文学者。長崎の生まれ。京大教授。江戸文学、特に俳諧を研究。著「俳諧史の研究」「江戸時代語の研究」など。
おおえまる【大江丸】
[1722〜1805]江戸後期の俳人。大坂の人。本名、安井政胤(やすいまさたね)。飛脚問屋を営む。大島蓼太(おおしまりょうた)に師事し、市井の人事句を得意とした。句文集に「俳懺悔」「俳諧袋」など...
おおたか‐げんご【大高源吾】
[1672〜1703]赤穂義士(あこうぎし)の一人。名は忠雄。浅野長矩(あさのながのり)の中小姓。吉良(きら)邸討ち入りに参加。宝井其角(たからいきかく)に俳諧を学び、子葉と号した。
おおた‐みずほ【太田水穂】
[1876〜1955]歌人。長野の生まれ。俳諧の要素を短歌に導入し、象徴の歌風を開いた。歌集に「冬菜」「螺鈿(らでん)」、研究書に「芭蕉俳諧の根本問題」など。
おおの‐しゃちく【大野洒竹】
[1872〜1913]俳人・医師。熊本の生まれ。本名は豊太。明治27年(1894)佐々醒雪(さっさせいせつ)らと筑波会を起こす。古俳書の収集に努め、俳諧史に詳しかった。蔵書はのちに東大図書館に寄...