みなもと‐の‐たかあきら【源高明】
[914〜983]平安中期の公卿。醍醐天皇の皇子。通称、西宮左大臣。源の姓を賜り、臣籍に降下。安和(あんな)の変で大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷。学を好み、有職故実に詳しかった。著「西宮記」。
みなもと‐の‐たかくに【源隆国】
[1004〜1077]平安中期の公卿・文学者。高明の孫。通称、宇治大納言。皇后宮大夫・権大納言となり、後一条天皇から白河天皇まで5代に仕えた。説話集「宇治大納言物語」を編著したという。
みなもと‐の‐ためとも【源為朝】
[1139〜1177]平安後期の武将。為義の八男。豪放な性格で、弓術に長じた。13歳の時九州へ追われ鎮西八郎と称し、九州を略取。保元の乱で父とともに崇徳上皇方となり、敗れて伊豆大島に流された。の...
みなもと‐の‐ためのり【源為憲】
[?〜1011]平安中期の学者・文人。源順(みなもとのしたごう)に師事。漢詩をよくした。著「三宝絵詞」「口遊(くちずさみ)」「世俗諺文」。
みなもと‐の‐ためよし【源為義】
[1096〜1156]平安後期の武将。祖父義家の養子となり、源氏の家督を継ぐ。六条堀河に住み、六条判官と称す。保元の乱で子為朝らを率いて崇徳上皇方となり、敗れて殺された。
みなもと‐の‐つねのぶ【源経信】
[1016〜1097]平安後期の公卿・歌人。俊頼の父。桂大納言・帥(そち)大納言とよばれる。博識多芸で、詩歌・管弦に長じ、藤原公任(きんとう)と並んで三舟(さんしゅう)の才と称された。家集「大納...
みなもと‐の‐つねもと【源経基】
[?〜961]平安中期の武将。清和天皇の皇子貞純親王の長子。六孫王と称された。藤原純友の乱鎮定に際し、小野好古に従って活躍。源の姓を賜って臣籍に降下、清和源氏の祖となった。
みなもと‐の‐とおる【源融】
[822〜895]平安前期の公卿。嵯峨天皇の皇子。源の姓を賜り、臣籍に降下。六条河原に邸宅を営み、河原左大臣とよばれた。宇治に営んだ別荘はのちに平等院となる。
みなもと‐の‐としより【源俊頼】
[1055〜1129]平安後期の歌人。経信の子。俊恵(しゅんえ)の父。自由清新な和歌によって高く評価され、保守派の藤原基俊と対立した。金葉集を撰進。家集「散木奇歌集」、歌学書「俊頼髄脳」。
みなもと‐の‐のりより【源範頼】
[?〜1193]平安末期・鎌倉初期の武将。義朝の六男。通称、蒲冠者(がまのかじゃ)。兄頼朝の挙兵を助け、弟義経とともに源義仲や平氏追討に参加。のち、頼朝に追われ、伊豆修禅寺で殺された。