みなもと‐の‐みつなか【源満仲】
[913〜997]平安中期の武将。経基の長男。鎮守府将軍。安和(あんな)の変で源高明を失脚させ、藤原氏に協力して地位を確立。摂津国多田に住んで、多田源氏を称した。多田満仲。
みなもと‐の‐よしいえ【源義家】
[1039〜1106]平安後期の武将。頼義の長男。通称、八幡太郎。前九年の役で父を助けて安倍氏を討ち、のち、陸奥守兼鎮守府将軍となり、後三年の役を鎮定。東国における源氏勢力の基盤をつくった。
みなもと‐の‐よしつね【源義経】
[1159〜1189]平安末期・鎌倉初期の武将。義朝の九男。母は常盤(ときわ)御前。幼名、牛若丸。平治の乱後、鞍馬寺に入り、さらに奥州の藤原秀衡のもとに身を寄せた。兄頼朝の挙兵に応じて義仲を討...
みなもと‐の‐よしとも【源義朝】
[1123〜1160]平安末期の武将。為義の長男。保元の乱で後白河天皇方に味方して勝利をおさめ、敵方の父為義ら一族を滅ぼした。のち、藤原信頼と結んで平治の乱を起こしたが、敗れて尾張で殺された。
みなもと‐の‐よしひら【源義平】
[1141〜1160]平安末期の武将。義朝の長男。15歳で叔父義賢を倒して武名をあげ、悪源太と称された。平治の乱で父義朝に従って奮戦、敗れて美濃に逃れた。父の死後、京都に潜入して平清盛をねらった...
みなもと‐の‐よしみつ【源義光】
[1045〜1127]平安後期の武将。頼義の三男。通称、新羅三郎(しんらさぶろう)。弓術に長じ、笙(しょう)をよくした。後三年の役に際し、官を辞して兄義家を助けて武功をあげた。
みなもと‐の‐よりいえ【源頼家】
[1182〜1204]鎌倉幕府第2代将軍。頼朝の長男。母は北条政子。父の死後家督を継ぎ、征夷大将軍となった。北条氏の合議制による将軍権能の制限を嫌い、これを討とうとしたが失敗、伊豆の修禅寺に幽閉...
みなもと‐の‐よりとも【源頼朝】
[1147〜1199]鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱後、伊豆に流されたが、以仁王(もちひとおう)の平氏討伐の令旨を受けて挙兵。鎌倉を本拠に関東に勢力を伸ばし、弟範頼・義経を西上させて義仲...
みなもと‐の‐よりのぶ【源頼信】
[968〜1048]平安中期の武将。満仲の三男。鎮守府将軍。藤原道長に仕え、平忠常の乱を戦わずして鎮めて武名をあげた。
みなもと‐の‐よりみつ【源頼光】
[948〜1021]平安中期の武将。満仲の長男。摂関家藤原氏と結び、左馬権頭となった。弓術にすぐれ、大江山の酒呑童子(しゅてんどうじ)退治の伝説で知られる。