たなか‐おおひで【田中大秀】
[1777〜1847]江戸後期の国学者。飛騨の人。号、千種園(ちぐさえん)など。本居宣長(もとおりのりなが)の門人。著「竹取翁物語解(たけとりのおきなのものがたりかい)」「土佐日記解」など。
たに‐ぶんちょう【谷文晁】
[1763〜1841]江戸後期の画家。江戸の人。名は正安。通称、文五郎。別号、写山楼・画学斎など。広く和漢洋の画法を学び、独自の南画で一家をなした。また、松平定信の愛顧を受けて西洋画の遠近法・陰...
たねがしま‐ときたか【種子島時尭】
[1528〜1579]戦国時代の武将。大隅(おおすみ)種子島の領主。天文12年(1543)漂着したポルトガル人から鉄砲2挺を購入し、その操法と製法を家臣に研究させた。
たねむら‐すえひろ【種村季弘】
[1933〜2004]独文学者・文芸評論家。東京の生まれ。怪奇幻想文学などを対象に独自の文芸・美術評論を展開。「ビンゲンのヒルデガルトの世界」で芸術選奨、著作集「種村季弘のネオ・ラビリントス」で...
つだ‐けんもつ【津田監物】
[?〜1567]室町後期の砲術家。津田流砲術の祖。紀伊の人。名は算長(かずなが)。種子島でポルトガル伝来の銃を譲り受けて砲術とその製造法を学んだ。
テーヌ【Hippolyte Adolphe Taine】
[1828〜1893]フランスの歴史家・批評家・哲学者。コントの実証主義を文学・芸術・歴史の研究に適用し、文化は人種・環境・時代の三条件で決定されると主張。著「芸術哲学」「現代フランスの起源」など。
とつか‐せいかい【戸塚静海】
[1799〜1876]幕末・明治初期の蘭医。遠州掛川の人。法印。宇田川榛斎(しんさい)、シーボルトに医学を学ぶ。江戸で開業し、神田お玉ヶ池種痘所開設に参加。のち幕府奥医師となる。
どうにゅう【道入】
[1599〜1656]江戸初期の陶工。京都の人。楽(らく)家の3代目。名は吉兵衛、のち吉左衛門。剃髪(ていはつ)後、道入と称した。俗称、のんこう。楽焼に新生面を開き、屈指の名手といわれる。名物茶...
どうもと‐いんしょう【堂本印象】
[1891〜1975]日本画家。京都の生まれ。本名、三之助。初期から各種の技法を駆使し、仏画・寺院襖絵(ふすまえ)を手がけ、第二次大戦後は日本画における抽象表現の追求へと向かった。文化勲章受章。
ド‐フリース【Hugo de Vries】
[1848〜1935]オランダの植物学者。原形質分離法により細胞の浸透圧を測定。オオマツヨイグサの雑種の研究から、進化の突然変異説を唱えた。