おおもり‐ひこしち【大森彦七】
南北朝時代の北朝方の武士。名は盛長。足利尊氏が九州から都に攻め上ったとき、湊川(みなとがわ)の戦いで楠木正成を破った。太平記に、正成の亡霊に悩まされるが、大般若経により怨霊を退散させたとある。ま...
おかもと‐きはち【岡本喜八】
[1924〜2005]映画監督。鳥取の生まれ。本名、喜八郎。「結婚のすべて」で監督デビュー。巧みなカットによるテンポのよい娯楽作品を多く手がけた。代表作「独立愚連隊」「肉弾」「江分利満(えぶりま...
おがさわら‐ながひで【小笠原長秀】
[?〜1424]室町中期の武将。信濃の守護。礼式や騎射の法に通じ、足利義満の弓馬術の師範となった。義満の命により武家の礼法を定めたと伝えられる。
おぎわら‐しげひで【荻原重秀】
[1658〜1713]江戸中期の幕臣。勘定奉行。通称、彦次郎。貨幣改鋳を行い、一時的に幕府の財政難を救った。私利をむさぼったとされ、新井白石の弾劾により失脚。
おぐり‐そうたん【小栗宗湛】
[1413〜1481]室町中期の画家。俗姓を小栗、出家して法名を宗湛という。相国寺に入って、画僧周文に学ぶ。足利(あしかが)将軍家に仕え、幕府御用絵師となる。漢画の正統を受け継ぐ穏健な作風。
おさふね‐ながみつ【長船長光】
鎌倉時代の刀工。備前の人。長船派の祖、光忠の子といわれるが、同名が数代続いている。足利将軍の宝刀「大般若長光」の作者とされる。生没年未詳。
おぜ‐ほあん【小瀬甫庵】
[1564〜1640]安土桃山・江戸初期の儒学者・医者。尾張の人。名は道喜。豊臣秀次・堀尾吉晴・前田利常に仕えた。著「太閤記」「信長記」など。
おだ‐うらく【織田有楽】
[1547〜1622]安土桃山・江戸初期の武将。信秀の子。信長の弟。名は長益。兄の死後、一時は豊臣秀吉と対立したが、のち秀吉に仕え、大坂夏の陣の直前、京都に隠棲して風流を友とした。利休高弟七人の...
たかばたけ‐もとゆき【高畠素之】
[1886〜1928]社会思想家。群馬の生まれ。堺利彦の売文社に入り、社会主義雑誌「新社会」の編集に参加。日本で初めて「資本論」を完訳。
たけの‐じょうおう【武野紹鴎】
[1502〜1555]室町後期の富商・茶人。堺の人。号、一閑居士・大黒庵。歌学を三条西実隆に学ぶ。茶の湯では村田珠光の孫弟子にあたり、佗(わ)びの境地を確立、千利休・津田宗及・今井宗久らの門弟を...