えんちん【円珍】
[814〜891]平安前期の天台宗の僧。讃岐(さぬき)の人。延暦寺の第5世座主(ざす)。寺門派の祖。義真に師事。入唐して多数の経疏(きょうしょ)を請来(しょうらい)し、天台密教(台密)を盛んにし...
おおと‐の‐きよがみ【大戸清上】
[?〜839]平安初期の雅楽家。河内の人。笛師として雅楽寮に仕えた。作曲にも優れ、仁明(にんみょう)天皇の時代の楽制改革の中心人物。承和5年(838)渡唐。翌年帰国の際、殺された。
かきざき‐はきょう【蠣崎波響】
[1764〜1826]江戸後期の画家。名は広年。松前藩主松前資広の五男。家老蠣崎家の養子となる。円山応挙に師事。「夷酋列像」は肖像画の傑作とされる。
かくゆう【覚猷】
[1053〜1140]平安後期の天台宗の僧。大納言源隆国の第9子。初名は顕智。園城(おんじょう)寺の覚円に師事し、のち、天台座主(ざす)・大僧正となった。鳥羽離宮内の証金剛院に住したので俗に鳥羽...
かわたけ‐しげとし【河竹繁俊】
[1889〜1967]演劇研究家。長野の生まれ。黙阿弥(もくあみ)家の養嗣子。坪内逍遥(つぼうちしょうよう)に師事。早大演劇博物館館長として活躍。著「歌舞伎史の研究」「日本演劇全史」など。
かわはら‐けいが【川原慶賀】
[1786〜?]江戸後期の洋風画家。長崎の人。通称、登与助。長崎出島の出入り絵師となり、シーボルトの依頼で動植物や風俗の写生画を描く。シーボルト事件に連座、江戸・長崎追放となる。
かわばた‐ぎょくしょう【川端玉章】
[1842〜1913]日本画家。京都の生まれ。名は滝之助。円山派の中島来章(なかじまらいしょう)に師事。のち、洋画法を高橋由一(たかはしゆいち)に学ぶ。精緻(せいち)な山水・花鳥画を得意とした。...
かわばた‐ぼうしゃ【川端茅舎】
[1897〜1941]俳人。東京の生まれ。本名、信一。竜子(りゅうし)の異母弟。高浜虚子に師事。「ホトトギス」同人。句集に「華厳(けごん)」「白痴」など。
かわひがし‐へきごとう【河東碧梧桐】
[1873〜1937]俳人・書家。愛媛の生まれ。名は秉五郎(へいごろう)。正岡子規に師事。新傾向俳句を唱えた。荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)らと「層雲」を創刊。のち、自由律に進んだ。著「三千...
がん‐かい【顔回】
[前522ころ〜前490ころ]中国、春秋時代の魯(ろ)の人。字(あざな)は子淵(しえん)。孔門にあって、学才・徳行ともに第一位とされ、最も孔子に愛されたが、師に先立って死去。顔淵(がんえん)。→...