いちかわ‐べいあん【市河米庵】
[1779〜1858]江戸後期の書家。江戸の人。名は三亥(みつい)。字(あざな)は孔陽、小春。寛斎の長子。中国、宋の米芾(べいふつ)の書を学び、米庵と号した。門弟に貴人が多く、その書風は大流行し...
いわや‐いちろく【巌谷一六】
[1834〜1905]書家。近江(おうみ)の人。本名、修。字(あざな)は誠卿。小波(さざなみ)の父。政治家として活躍する一方、能書家として知られ、独自の書風を示した。
おの‐がどう【小野鵞堂】
[1862〜1922]書家。静岡の生まれ。本名、鐗之助(かんのすけ)。和様の研究や書道の普及に努めた。特に、書の実用性と芸術性の融合を主張して、鵞堂流と称する独自の平明優美な書風を完成。
かんろく【勘六】
[1746〜1805]江戸末期の書家。勘亭流の祖。岡崎屋と称し、号は勘亭。江戸中村座の手代で、劇場の看板・番付をその独特な書風に改めた。
きん‐のう【金農】
[1687〜1763ころ]中国、清代の画家・書家。浙江(せっこう)省の人。字(あざな)は寿門。号、冬心(とうしん)。墨梅・墨竹・花果を得意とし、独特の書風で知られる。
くさかべ‐めいかく【日下部鳴鶴】
[1838〜1922]書家。滋賀の生まれ。名は東作。字(あざな)は子暘(しよう)。六朝(りくちょう)書道を学び、清国に渡って書学を研究。明治書道界の第一人者で、その書風は鳴鶴流とよばれた。
このえ‐のぶただ【近衛信尹】
[1565〜1614]安土桃山時代の公卿。前久(さきひさ)の子。初名、信基、のち信輔。号、三藐院(さんみゃくいん)。書にすぐれ、その書風は近衛流とよばれる。寛永の三筆の一人。日記「三藐院記」がある。
ちょう‐きょく【張旭】
中国、盛唐の書家。呉郡(江蘇省)の人。字(あざな)は伯高。草書にすぐれ、書風は「狂草」といわれた。飲中八仙の一人。生没年未詳。
べい‐ふつ【米芾】
[1051〜1107]中国、北宋の書家・画家。襄陽(じょうよう)(湖北省)の人。字(あざな)は元章(げんしょう)。号、鹿門居士(ろくもんこじ)など。息子の米友仁に対し、大米という。書は王羲之(お...
まき‐りょうこ【巻菱湖】
[1777〜1843]江戸後期の書家。越後の人。名は大任、字(あざな)は致遠。唐の欧陽詢(おうようじゅん)などの書を学び、端正で明快な書風は菱湖流と呼ばれて明治初期まで広く流行。幕末の三筆の一人。