・・・ お律はこう云い終ると、頭の位置を変えようとした。その拍子に氷嚢が辷り落ちた。洋一は看護婦の手を借りずに、元通りそれを置き直した。するとなぜかまぶたの裏が突然熱くなるような気がした。「泣いちゃいけない。」――彼は咄嗟にそう思った。が、も・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ そういう発端で明日矢部と会見するに当たっての監督としての位置と仕事とを父は注意し始めた。それは懇ろというよりもしちくどいほど長かった。監督はまた半時間ぐらい、黙ったまま父の言いつけを聞かねばならなかった。 監督が丁寧に一礼して部屋・・・ 有島武郎 「親子」
・・・立花は夢心地にも、何等か意味ありげに見て取ったので、つかつかと靴を近けて差覗いたが、ものの影を見るごとき、四辺は、針の長短と位地を分ち得るまでではないのに、判然と時間が分った。しかも九時半の処を指して、時計は死んでいるのであるが、鮮明にその・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・……第一見えそうな位置でもないのに――いま言った黄昏になる頃は、いつも、窓にも縁にも一杯の、川向うの山ばかりか、我が家の町も、門も、欄干も、襖も、居る畳も、ああああ我が影も、朦朧と見えなくなって、国中、町中にただ一条、その桃の古小路ばかりが・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・極く雑なのでも裏つきで、鼻緒が流行のいちまつと洒落れている。いやどうも……柿の渋は一月半おくれても、草履は駈足で時流に追着く。「これを貰いますよ。」 店には、ちょうど適齢前の次男坊といった若いのが、もこもこの羽織を着て、のっそりと立・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・紙雛、島の雛、豆雛、いちもん雛と数うるさえ、しおらしく可懐い。 黒棚、御廚子、三棚の堆きは、われら町家の雛壇には些と打上り過ぎるであろう。箪笥、長持、挟箱、金高蒔絵、銀金具。小指ぐらいな抽斗を開けると、中が紅いのも美しい。一双の屏風の絵・・・ 泉鏡花 「雛がたり」
・・・……湯気に山茶花の悄れたかと思う、濡れたように、しっとりと身についた藍鼠の縞小紋に、朱鷺色と白のいち松のくっきりした伊達巻で乳の下の縊れるばかり、消えそうな弱腰に、裾模様が軽く靡いて、片膝をやや浮かした、褄を友染がほんのり溢れる。露の垂りそ・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ことに以前の単純の時代と反対に、自分にはとにかく妻というものができ、一方には元の恋中の女が独身でいて、しかもどうやら自分の様子に注意しているらしく思われる境涯、年若な省作にはあまりに複雑すぎた位置である。感覚の働きが鈍ったわけではないけれど・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・挨拶が可笑しい位だった、其内利助も朝草を山程刈って帰ってきた、さっぱりとした麻の葉の座蒲団を影の映るような、カラ縁に敷いて、えい心持ったらなかった、伯父さん鎌を六丁買ってきて、家でばっかそんなにいるかいちもんだから、おれがこれこれだと話すと・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・出てからちょっとふり返って見たが、かの女は――分ったのか、分らないのか――突き放されたままの位置で、畳に左の手を突き、その方の袂の端を右の手で口へ持って行った。目は畳に向いていた。 その翌日、午前中に、吉弥の両親はいとま乞いに来た。僕が・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
出典:青空文庫