・・・流石は外国人だ、見るのも気持のいいようなスッキリした服を着て、沢山歩いたり、どうしても、どんなに私が自惚れて見ても、勇気を振い起して見ても、寄りつける訳のものじゃない処の日本の娘さんたちの、見事な――一口に云えば、ショウウインドウの内部のよ・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・でもないし、また娑婆へ出て考えるほど、もちろん、監獄は「楽に食えていいところ」でもない。一口に言えば、社会という監獄の中の、刑務所という小さい監獄です。 二 私は面接室へ行った。 ブリキ屋の山田君と、嬶と、子供と・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・又男女席を同うせず云々とて古の礼を示したるも甚だ宜しけれども、人事繁多の今の文明世界に於て、果して此古礼を実行す可きや否や、一考す可き所のものなり。是れも所謂言葉の采配、又売物の掛直同様にして、斯くまでに厳しく警めたらば少しは注意する者もあ・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・すると、議論じゃ一向始末におえない奴が、浅墓じゃあるが、具体的に一寸眼前に現て来ている。――私の心というものは、その女に惹き付けられた。 これが併し動機になったんだ。勢い極まって其処まで行ったんだが、……これが畢竟一転する動機となったん・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・その例、嵯峨へ帰る人はいづこの花に暮れし一行の雁や端山に月を印す朝顔や手拭の端の藍をかこつ水かれ/″\蓼かあらぬか蕎麦か否か柳散り清水涸れ石ところ/″\我をいとふ隣家寒夜に鍋をならす霜百里舟中に我月を領す・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・すが手前の処はやはりお古い処で御勘弁を願いますような訳で、たのしみはうしろに柱前に酒左右に女ふところに金とか申しましてどうしてもねえさんのお酌でめしあがらないとうまくないという事で、私などの汁粉党には一向分りませんが、ゲーッアー愉快愉快。一・・・ 正岡子規 「煩悶」
・・・この上もない慰みになるようになった。殊に三月の末であったか、碧梧桐一家の人が赤羽へ土筆取りに行くので、妹も一所に行くことになった時には予まで嬉しい心持がした。この一行は根岸を出て田端から汽車に乗って、飛鳥山の桜を一見し、それからあるいて赤羽・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・○僕も昔は少し気取て居った方で、今のように意気地なしではなかった。一口にいうとやや悟って居る方だと自惚れて居た。ところが病気がだんだん劇しくなる。ただ身体が衰弱するというだけではないので、だんだんに痛みがつのって来る。背中から左の横腹や・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・赤毛の子どもは一向こわがる風もなくやっぱりじっと座っています。すると六年生の一郎が来ました。一郎はまるで坑夫のようにゆっくり大股にやってきて、みんなを見て「何した」とききました。みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指しま・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・は、しかし、最後の一行まで読み終ると、この作品の世界の一種の美にかかわらず、私たちの心に何か深い疑問をよびさますものがある。そして、その疑問は、その単行本の後書きを読むと一層かき立てられる。「愛と死、之は誰もが一度は通らねばならない。人間が・・・ 宮本百合子 「「愛と死」」
出典:青空文庫