いとうじんさい【伊藤仁斎】
[1627〜1705]江戸前期の儒学者。京都の人。名は維楨 (これえだ) 。古義学派の祖。初め朱子学を学ぶ。京都堀川に開いた古義堂は、門弟三千余人を有したといわれる。著「論語古義」「孟子古義」「童子問」など。古学先生。
いとうしんすい【伊東深水】
[1898〜1972]日本画家。東京の生まれ。本名、一 (はじめ) 。鏑木清方 (かぶらぎきよかた) に師事し、浮世絵の伝統を受け継いだ風俗画、特に美人画で知られる。大正期には挿絵・口絵を描き、また新版画運動に参加し、版下絵を制作。芸術院会員。
いとうしんとく【伊藤信徳】
[1633〜1698]江戸前期の俳人。京都の人。貞門から談林風に傾倒。松尾芭蕉らと交流し、蕉風確立に影響を与えた。著「江戸三吟」など。
いとうすけちか【伊東祐親】
[?〜1182]平安後期の武将。伊豆の人。河津二郎と称した。平氏に味方して源頼朝と戦ったが、捕らえられて自殺。曽我兄弟の祖父。
いとうすけゆき【伊東祐亨】
[1843〜1914]元帥・海軍大将。鹿児島の生まれ。日清戦争時の連合艦隊司令長官。日露戦争では大本営海軍幕僚長。
いとうせい【伊藤整】
[1905〜1969]小説家・評論家。北海道の生まれ。本名、整 (ひとし) 。ジョイスの「ユリシーズ」、ローレンスの「チャタレイ夫人の恋人」を翻訳紹介。新心理主義文学を唱えた。小説「鳴海仙吉」「火の鳥」、評論「小説の方法」「日本文壇史」など。
いとうそうかん【伊藤宗看】
[1618〜1694]江戸前期の将棋棋士。家元伊藤家の祖。幼少のとき大橋宗桂に師事、のち3世名人になった。
いとうだいすけ【伊藤大輔】
[1898〜1981]映画監督。愛媛の生まれ。サイレント時代劇に斬新な内容と手法とを持ち込んだ「忠次旅日記」三部作や、社会主義的傾向の時代劇で知られる。代表作は「斬人斬馬剣」「侍ニッポン」「王将」「徳川家康」など。
いとうたかみ【伊藤たかみ】
[1971〜 ]小説家・児童文学者。兵庫の生まれ。本名、伊藤学。早稲田大学在学中に「助手席にて、グルグル・ダンスを踊って」でデビュー。「八月の路上に捨てる」で芥川賞受賞。児童文学に「ミカ!」「ぎぶそん」などがある。
いとうたんあん【伊藤坦庵】
[1623〜1708]江戸前期の儒学者。京都の人。名は宗恕。初め医師となったが、のち、福井藩に儒官として仕えた。師の江村専斎の談話を集めた「老人雑話」の編者。著「坦庵遺稿」。