・・・この意味で、会話は、彼の意図通り、方向を転換したと云っても差支えない。が、転換した方向が、果して内蔵助にとって、愉快なものだったかどうかは、自らまた別な問題である。 彼の述懐を聞くと、まず早水藤左衛門は、両手にこしらえていた拳骨を、二三・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
俊寛云いけるは……神明外になし。唯我等が一念なり。……唯仏法を修行して、今度生死を出で給うべし。源平盛衰記いとど思いの深くなれば、かくぞ思いつづけける。「見せばやな我を思わぬ友もがな磯のとまやの柴の庵を。」同上一・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・それが彼にとってはどれもこれも快いと思われるものではなかった。彼は征服した敵地に乗り込んだ、無興味な一人の将校のような気持ちを感じた。それに引きかえて、父は一心不乱だった。監督に対してあらゆる質問を発しながら、帳簿の不備を詰って、自分で紙を・・・ 有島武郎 「親子」
・・・僕はいつでもそれを羨しいと思っていました。あんな絵具さえあれば僕だって海の景色を本当に海に見えるように描いて見せるのになあと、自分の悪い絵具を恨みながら考えました。そうしたら、その日からジムの絵具がほしくってほしくってたまらなくなりました。・・・ 有島武郎 「一房の葡萄」
・・・あんな荷物をどっさり持って、毎日毎日引越して歩かなくちゃならないとなったら、それこそ苦痛じゃないか。A 飯のたんびに外に出なくちゃならないというのと同じだ。B 飯を食いに行くには荷物はない。身体だけで済むよ。食いたいなあと思った時、・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・ その、もの静に、謹みたる状して俯向く、背のいと痩せたるが、取る年よりも長き月日の、旅のほど思わせつ。 よし、それとても朧気ながら、彼処なる本堂と、向って右の方に唐戸一枚隔てたる夫人堂の大なる御廚子の裡に、綾の几帳の蔭なりし、跪ける・・・ 泉鏡花 「一景話題」
一 婦人は、座の傍に人気のまるでない時、ひとりでは按摩を取らないが可いと、昔気質の誰でもそう云う。上はそうまでもない。あの下の事を言うのである。閨では別段に注意を要するだろう。以前は影絵、うつし絵などで・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・ああよくできたこれでおれはいつ死んでもえいと、父は口によろこばしき言をいったものの、しおしおとした父の姿にはもはや死の影を宿し、人生の終焉老いの悲惨ということをつつみ得なかった。そうと心づいた予は実に父の生前石塔をつくったというについて深刻・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・友人の紹介で、ある寺の一室を借りるつもりであったのだが、たずねて行って見ると、いろいろ取り込みのことがあって、この夏は客の世話が出来ないと言うので、またその住持の紹介を得て、素人の家に置いてもらうことになった。少し込み入った脚本を書きたいの・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・ しかるに、今日は、『大衆に向くものを』という意図のもとに文芸が創作されつゝあります。 いったい誰に、それが売れないのであるか? 或は、そういう作品は、誰に読まれないというのか? 過去のいかなる時代に於ても、真の芸術は理解する人・・・ 小川未明 「作家としての問題」
出典:青空文庫