・・・久振りで御目に掛るんですもの。』『あらいやだ。』 若子さんは頓興に大きな声で、斯うお云いでしたから、何かと思うと、また学生がつい其処に立って居るのでした。『何だか可厭な人だわ。』『そうねえ。』『彼方へ行った方が可いね。』・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・ ゆえに本書の如きは民間一個人の著書にして、その信不信をばまったく天下の公論に任じ、各人自発の信心をもってこれを読ましむるは、なお可なりといえども、いやしくも政府の撰に係るものを定めて教科書となし、官立・公立の中学校・師範学校等に用うる・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・ わたくしはどうしてもあなたにお目に掛かるまいと決心いたしました。それと同時にわたくしは思いました。わたくしがあなたを思うほど、あなたがわたくしを思って下さるまでは、わたくしの心は永久に落ち着くことは出来まいと云うのでございます。わたく・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・ ベースボールいまだかつて訳語あらず、今ここに掲げたる訳語はわれの創意に係る。訳語妥当ならざるは自らこれを知るといえども匆卒の際改竄するに由なし。君子幸に正を賜え。升 附記・・・ 正岡子規 「ベースボール」
・・・彼の前に米国の女性は愛し、尊むべき女人ではなくて或人の言を借りて云えば、単に“Female”であるに過ぎない、其も物質的な、金の掛る家畜だとまで酷評されるのでございます。 私共は、斯様な放言に対して、総ての女性の尊厳の為に飽くまでも申さ・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ おともさんは又、もうこの四日に掛ると云う春興行を見たがって居る。「貧亡(してても芝居は見たいものと見える。あんまり芝居ばっかり見たがって居るからあんな苦しい暮しをするのだて。と祖母は、おともさんがもらった真綿の胴着を抱・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・蜘蛛は網を張って虫の掛かるのを待っています。あれはどの虫でも好いのだから、平気で待っているのです。若し一匹の極まった虫を取ろうとするのだと、蜘蛛の網は役に立ちますまい。わたしはこうして僥倖を当にしていつまでも待つのが厭になりました」「随・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・本町を横切って、石町河岸から龍閑橋、鎌倉河岸に掛る。次第に人通が薄らぐので、九郎右衛門は手拭を出して頬被をして、わざとよろめきながら歩く。文吉はそれを扶ける振をして附いて行く。 神田橋外元護寺院二番原に来た時は丁度子の刻頃であった。往来・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・恋が褪め掛かる。とうとう恋も何も無くなったと云うわけですね。あの時手紙なんぞをお落しなさらなかったら、わたくしはきょうだってまだあなたに惚れているだろうと思うのです。(勝ち誇りたる気色 女。そんならあなたはわたくしのような性の女が手紙を・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「最終の午後」
・・・でも只今お目に懸かることの出来ましたのは嬉しゅうございますわ。過ぎ去った昔のお話が出来ますからね。まあ、事によるとあなたの方では、もうすっかり忘れてしまっていらっしゃるような昔のお話でございますの。男。妙ですね。あなたがそんな風な事をわ・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「辻馬車」
出典:青空文庫