・・・ 今日もそこに来て耳をてたが、電車の来たような気勢もないので、同じ歩調ですたすたと歩いていったが、高い線路に突き当たって曲がる角で、ふと栗梅の縮緬の羽織をぞろりと着た恰好の好い庇髪の女の後ろ姿を見た。鶯色のリボン、繻珍の鼻緒、おろし立て・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ 宿に落着いてから子供等と裏の山をあるいていると、鶯が鳴き郭公が呼ぶ。落葉松の林中には蝉時雨が降り、道端には草藤、ほたるぶくろ、ぎぼし、がんぴなどが咲き乱れ、草苺やぐみに似た赤いものが実っている、沢へ下りると細流にウォータークレスのよう・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・ひなは七月に行った時はまだ黄色い綿で作ったおもちゃのような格好で、羽根などもほんの琴の爪ぐらいの大きさの、言わば形ばかりのものであった。それでも時々延び上がって一人前らしく羽ばたきのまね事をするのが妙であった。麦笛を吹くような声でピーピーと・・・ 寺田寅彦 「あひると猿」
・・・ この頃では夏が来るとしきりに信州の高原が恋しくなる。郭公や時鳥が自分を呼んでいるような気がする。今年も植物図鑑を携えて野の草に親しみたいと思っている。 寺田寅彦 「海水浴」
・・・この鳴き声がいったい何事を意味するかが疑問である。郭公の場合には明らかに雌を呼ぶためだと解釈されているようであるが、ほととぎすの場合でもはたして同様であるか、どうかは疑わしい。前者は静止して鳴くらしいのに後者は多くの場合には飛びながら鳴くの・・・ 寺田寅彦 「疑問と空想」
・・・彼は西を探し南を探しハンプステッドの北まで探してついに恰好の家を探し出す事が出来ず、最後にチェイン・ローへ来てこの家を見てもまだすぐに取きめるほどの勇気はなかったのである。四千万の愚物と天下を罵った彼も住家には閉口したと見えて、その愚物の中・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・何しろ横浜のメリケン波戸場の事だから、些か恰好の異った人間たちが、沢山、気取ってブラついていた。私はその時、私がどんな階級に属しているか、民平――これは私の仇名なんだが――それは失礼じゃないか、などと云うことはすっかり忘れて歩いていた。・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 河豚も醜魚だが、ドンコもあんまり恰好がよいとはいえない。しかし、味はなかなかよくサシミにしても食える。北原白秋の故郷柳川は水郷である。その縦横のクリークにはドンコがたくさんいるので、私はよく柳川でドンコ釣りをしたが、緒方一三さんという・・・ 火野葦平 「ゲテ魚好き」
・・・ 各校にある筆道、句読、算術師のほかに、巡講師なる者あり。その数およそ十名。六十四校を順歴して毎校に講席を設くること一月六度、この時には区内の各戸より必ず一人ずつ出席して講義を聴かしむ。その講ずるところの書は翻訳書を用い、足らざるときは・・・ 福沢諭吉 「京都学校の記」
・・・試にその顔の恰好をいうと、文学者のギボンの顔を飴細工でこしらえてその顔の内側から息を入れてふくらました、というような具合だ。忽ち火が三つになった。 何か出るであろうと待って居るとまた前の耶蘇が出た。これではいかぬと思うて、少く頭を後へ引・・・ 正岡子規 「ランプの影」
出典:青空文庫