・・・今天下の士君子、もっぱら世事に鞅掌し、干城の業を事とするも、あるいは止むをえざるに出ずるといえども、おのずからその所長所好なからざるをえず。ゆえにかの士君子も、天与の自由を得て、その素志を施すものというべし。また我が党の士、幽窓の下におりて・・・ 福沢諭吉 「中元祝酒の記」
・・・一は智識を以て理会する学問上の穿鑿、一は感情を以て感得する美術上の穿鑿是なり。 智識は素と感情の変形、俗に所謂智識感情とは、古参の感情新参の感情といえることなりなんぞと論じ出しては面倒臭く、結句迷惑の種を蒔くようなもの。そこで使いなれた・・・ 二葉亭四迷 「小説総論」
・・・ そこへまた他の一種の感情が作用する。それはやや高尚な感情で、自分の若かった昔の記念である。あの頃の事を思ってみれば、感情生活の本源まで溯って行く道がどんなにか平坦であっただろう。その恋しい昔の活きた証人ほど慕わしいものが世にあろうか。・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・凡そ感情の暖かい潮流が其方の心に漲って、其方が大世界の不思議をふと我物と悟った時、其方の土塊から出来ている体が顫えた時には、わしの秘密の威力が其方の心の底に触れたのじゃ。主人。もう好い好い。解った。まだ胸は支えているが、兎に角お前を歓迎・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・その抽んでたる所以は、他集の歌が豪も作者の感情を現し得ざるに反し、『万葉』の歌は善くこれを現したるにあり。他集が感情を現し得ざるは感情をありのままに写さざるがためにして、『万葉』がこれを現し得たるはこれをありのままに写したるがためなり。曙覧・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・起きな。勘定を払うんだよ。さあ。」「キーイ、キーイ、クヮア、あ、痛い、誰だい。ひとの頭を撲るやつは。」「勘定を払いな。」「あっ、そうそう。勘定はいくらになっていますか。」「お前のは三百四十二杯で、八十五銭五厘だ。どうだ。払え・・・ 宮沢賢治 「カイロ団長」
・・・本社のいちはやく探知するところによればツェ氏は数日前よりはりがねせい、ねずみとり氏と交際を結びおりしが一昨夜に至りて両氏の間に多少感情の衝突ありたるもののごとし。台所街四番地ネ氏の談によれば昨夜もツェ氏は、はりがねせい、ねずみとり氏を訪問し・・・ 宮沢賢治 「クねずみ」
・・・「あのいちばん下の脚もとに小さな環が見えるでしょう、環状星雲ですよ。あの光の環ね、あれを受け取ってください。僕のまごころです」「ええ。ありがとう、いただきますわ」「ワッハッハ。大笑いだ。うまくやってやがるぜ」 突然向こうのま・・・ 宮沢賢治 「シグナルとシグナレス」
・・・それから環状星雲というのもあります。魚の口の形ですから魚口星雲とも云いますね。そんなのが今の空にも沢山あるんです。」「まあ、あたしいつか見たいわ。魚の口の形の星だなんてまあどんなに立派でしょう。」「それは立派ですよ。僕水沢の天文台で・・・ 宮沢賢治 「土神ときつね」
・・・愛という観念を、あっち側から扱う方法です。人間らしくないすべての事情、人間らしくないすべての理窟とすべての欺瞞を憎みます。愛という感情が真実わたしたちの心に働いているとき、どうして漫画のように肥った両手をあわせて膝をつき、存在しもしない何か・・・ 宮本百合子 「愛」
出典:青空文庫