・・・ 私が初めて甚深の感動を与えられ、小説に対して敬虔な信念を持つようになったのはドストエフスキーの『罪と罰』であった。この『罪と罰』を読んだのは明治二十二年の夏、富士の裾野の或る旅宿に逗留していた時、行李に携えたこの一冊を再三再四反覆して・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・シカシ世間に与えた感動は非常なもので、大多数は尽くヒプノタイズされてしまって、紅隈の団十郎が大眼玉を剥いたのでなければ承知出来ぬ連中までが「チンプンカンで面白くねェ、馬鹿にしてやがる」といいながらも一種の暗示を与えられてこれを迎えずにはいら・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・只単に旨いと思って読むものと、心の底から感動させられるものとは自らそこに非常な相違があると思う。 読んで見て、如何にも気持がよく出て居て、巧みに描き出してあると思う作品は沢山あるけれども、粛然として覚えず襟を正し、寂しみを感じさせるよう・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・ すると、かもめは、急ぐ翼をゆるくして、からすとしばらくの間道連れになりました。「私は二、三日前に、ずっと南の都から出立しました。去年の冬はにぎやかな都で送りました。もう夏になって、北の海が恋しくなったので帰るところですよ。」と、か・・・ 小川未明 「馬を殺したからす」
・・・ その時、年とった体操の教師が、この木の下に立って、さも痛ましそうにして、皮の剥がれた幹を撫していましたが――よくこれで水を吸い上げるものだと言わぬばかりの顔をしながら――やがて、何に深く感動してか、溜息を洩らして、「苛められる者は・・・ 小川未明 「自分を鞭打つ感激より」
・・・里子の時分、転々と移っていたことに似ているわけだったが、しかしさすがの父も昔のことはもう忘れていたのか、そんな私を簡単に不良扱いにして勘当してしまいました。しかし勘当されたとなると、もうどこも雇ってくれるところはなし、といって働かねば食えず・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・奈良に住むと、小説が書けなくなるというのも、造型美術品から受ける何ともいいようのない単純な感動が、小説の筆を屈服させてしまうからであろう。だから、人間の可能性を描くというような努力をむなしいものと思い、小説形式の可能性を追究して、あくまで不・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・寺田にしては随分思い切った大胆さで、それだけ一代にのぼせていたわけだったが、しかし勘当になった上にそのことが勤め先のA中に知れて免職になると、やはり寺田は蒼くなった。交潤社の客で一代に通っていた中島某はA中の父兄会の役員だったのだ。寺田は素・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・光らせた蒼白いその顔を見て、私は佐伯の病気もいよいよいけなくなったのか、なるほどそんな噂が立つのも無理はあるまいという想いにいきなり胸をつかれたが、同時に佐伯の生活にはもはや耳かきですくうほどの希望も感動も残っていず、今は全く青春に背中を向・・・ 織田作之助 「道」
・・・奕打ちでとか、欺されて田畑をとられたためだとか、哀れっぽく持ちかけるなど、まさか土地柄、気性柄蝶子には出来なかったが、といって、私を芸者にしてくれんようなそんな薄情な親テあるもんかと泣きこんで、あわや勘当さわぎだったとはさすがに本当のことも・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
出典:青空文庫