・・・自分の作のどういう点がほんとに彼を感動さしたのか――それは一見明瞭のようであって、しかしどこやら捉えどころのない暗い感じだった。おそらくあの作の持っている罪業的な暗い感じに、彼はある親味と共鳴とを感じたのでもあろうが、それがひどく欠陥のある・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・彼が彼女の膚に触れているとき、そこにはなんの感動もなく、いつもある白じらしい気持が消えなかった。生理的な終結はあっても、空想の満足がなかった。そのことはだんだん重苦しく彼の心にのしかかって来た。そのうちに彼は晴ればれとした往来へ出ても、自分・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・それは文芸の傑作に触れた感動にも劣るものではない。そしてその感染性とわれわれの人格教養の血肉となり、滋養となり、霊感とさえもなる力もまた文芸の作品に劣るものではない。ただ文芸には文芸の約束があり、倫理学にはその特殊の約束があるのみである。カ・・・ 倉田百三 「学生と教養」
・・・といって残り惜しそうに餌を見た彼の素直な、そして賢い態度と分別は、少からず予を感動させた。よしんば餌入れがなくて餌を保てぬにしても、差当り使うだけ使って、そこらに捨てて終いそうなものである。それが少年らしい当然な態度でありそうなものであ・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・しまいには、その家屋敷も人手に渡り、子息は勘当も同様になって、みじめな死を死んで行った。私はあのお爺さんが姉娘に迎えた養子の家のほうに移って、紙問屋の二階に暮らした時代を知っている。あのお爺さんが、子息の人手に渡した建物を二階の窓の外になが・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・青年はその笑顔に励まされて、感動したような様子で、手に持った帽をまた被って、老人の肩に手をかけて、自分の青ざめた、今叫んだので少し赤くなった顔を、老人の顔に近く寄せて、暫く目を見合せた。そして老人がまだ口を開く隙のないうちに、あわただしく、・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・ 二 しかし、ディオニシアスについて伝えられているお話の中で、一ばん人を感動させるのは、怖らくピシアスとデイモンとのお話でしょう。 この二人は、どちらもピサゴラスの学徒と言って、ピサゴラスという、ずっと昔にい・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・四国の或る殿様の別家の、大谷男爵の次男で、いまは不身持のため勘当せられているが、いまに父の男爵が死ねば、長男と二人で、財産をわける事になっている。頭がよくて、天才、というものだ。二十一で本を書いて、それが石川啄木という大天才の書いた本よりも・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・ 私は名誉の家の所以を語り、重ねてまた大隅君の無感動の態度を非難した。「きょうはじめてお嫁さんと逢うんだというのに、十一時頃まで悠々と朝寝坊しているんですからね。ぶん殴ってやりたいくらいだ。」「喧嘩をしちゃいかん。どうも、同じク・・・ 太宰治 「佳日」
・・・『われひとりを悪者として勘当除籍、家郷追放の現在、いよいよわれのみをあしざまにののしり、それがために四方八方うまく治まり居る様子』などのお言葉、おうらめしく存じあげ候。今しばし、お名あがり家ととのうたるのちは、御兄上様御姉上様、何条もってあ・・・ 太宰治 「帰去来」
出典:青空文庫