・・・しかしこの概念的記述的なるものの連続の中には詩もなければ音楽もなく、何一つ生活の内面に立ち入ったリアルな生きた実相をつかまえてわれわれに教えてくれるものはないようである。つまり現代の映画の標準から見ればあまりに内容に乏しい恨みがあるのである・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・ この書物の第十五章は盲と芸術との交渉を述べたものであるが、その中に、盲で同時に聾のヘレン・ケラーという有名な女の自叙伝中に現れた視覚的美の記述がどういう意味のものかという事を論じた一節がある。その珍しい自叙伝中から二、三小節を引用して・・・ 寺田寅彦 「鸚鵡のイズム」
・・・ 右の磯氏の記述によるとこのギバの現象には二説ある。その一つによると旋風のようなものが襲来して、その際に「馬のたてがみが一筋一筋に立って、そのたてがみの中に細い糸のようなあかい光がさし込む」と馬はまもなく死ぬ、そのとき、もし「すぐと刀を・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・もしそうでなければ一木一草を描き、一事一物を記述するという事は不可能な事である。そしてその観察と分析とその結果の表現のしかたによってその作品の芸術としての価値が定まるのではあるまいか。 ある人は科学をもって現実に即したものと考え、芸術の・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・つまり読者の錯覚、認識不足を利用して読者を魅了すればよいので、この点奇術や魔術と同様である。そういうものになると探偵小説はほんとうの「実験文学」とは違った一つの別派を形成するとも言われるであろう。そういうこしらえ物でなくて、実際にあった事件・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・そうしてその問題と解決と結論とを、われわれにわかる言葉で記述してわれわれに示したとする。それを読んだわれわれが、それによって人間界の現象について教えられることは、ちょうど理論物理学的論文によって自然界の物理的現象について教えられるのと似かよ・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・そういう意味ではそのころに見た松旭斎天一の西洋奇術もまた同様な効果があったかもしれないのである。ジュール・ヴェルヌの「海底旅行」はこれに反して現実の世界における自然力の利用がいかに驚くべき可能性をもっているかを暗示するものであった。それから・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・さればこの時代に在って上野の風景を記述した詩文雑著のたぐいにして数寄屋町の妓院に説き及ばないものは殆無い。清親の風景板画に雪中の池を描いて之に妓を配合せしめたのも蓋偶然ではない。 上野の始て公園地となされたのは看雨隠士なる人の著した東京・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ いま現在の生活からその土台になっている過去の生活を正確に顧みて、これを誤りなく記述する事は容易でない。糞尿を分析すれば飲食した物の何であったかはこれを知ることが出来るが、食った刹那の香味に至っては、これを語って人をして垂涎三尺たらしむ・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・これらの光景とその時の情趣とは、ピエール・ロッチがその著『お菊さん』の中に委しく記述している。雨の小息みもなく降りしきる響を、狭苦しい人力車の幌の中に聞きすましながら、咫尺を弁ぜぬ暗夜の道を行く時の情懐を述べた一章も、また『お菊さん』の書中・・・ 永井荷風 「西瓜」
出典:青空文庫