中洲の河岸にわたくしの旧友が病院を開いていたことは、既にその頃の『中央公論』に連載した雑筆中にこれを記述した。病院はその後箱崎川にかかっている土洲橋のほとりに引移ったが、中洲を去ること遠くはないので、わたくしは今もって折々診察を受けに・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・成島柳北は三たびこの夜の光景を記述して『朝野新聞』に掲げた。大沼枕山が長命寺の門外に墨水観花の碑を建てたのも思うにまたこの時分であろう。 かつてわたくしはこの時分の俗曲演劇等の事を論評した時明治十年前後の時代を以て江戸文芸再興の期となし・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・この事は巳に『冷笑』と題する小説中紅雨という人物を借りて自分はつぶさにこれを記述した事がある。「紅雨の最も感動したのは、かの説明者が一々に勿体つける欄間の彫刻や襖の絵画や金箔の張天井の如き部分的の装飾ではなくて、霊廟と名付けられた建・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・何も日本固有の奇術が現に伝っているのに、一も西洋二も西洋と騒がんでもの事でげしょう。今の日本人はちと狸を軽蔑し過ぎるように思われやすからちょっと全国の狸共に代って拙から諸君に反省を希望して置きやしょう」「いやに理窟を云う狸だぜ」と源さん・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・これを記述するのも面白い。しかし同じように泣くのは御免蒙りたい。だからある男が泣く様を文章にかいた時にたとい読者が泣いてくれんでも失敗したとは思わない。むやみに泣かせるなどは幼稚だと思う。 それでは人間に同情がない作物を称して写生文家の・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・ありのままの本当をありのままに書く正直という美徳があればそれが自然と芸術的になり、その芸術的の筆がまた自然善い感化を人に与えるのは前段の分解的記述によってもう御会得になった事と思います。自然主義に道義の分子があるという事はあまり人の口にしな・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・しかもその俗語の俗ならずしてかえって活動する、腐草螢と化し淤泥蓮を生ずるの趣あるを見ては誰かその奇術に驚かざらん。出る杭を打たうとしたりや柳かな酒を煮る家の女房ちょとほれた絵団扇のそれも清十郎にお夏かな蚊帳の内に螢放して・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ おきなぐさはその変幻の光の奇術の中で夢よりもしずかに話しました。「ねえ、雲がまたお日さんにかかるよ。そら向こうの畑がもう陰になった」「走って来る、早いねえ、もうから松も暗くなった。もう越えた」「来た、来た。おおくらい。急に・・・ 宮沢賢治 「おきなぐさ」
・・・「それはばけもの奇術でございましょう。ばけもの奇術師が、よく十二三位までの女の子を、変身術だと申して、ええこんどは犬の形、ええ今度は兎の形などと、ばけものをしんこ細工のように延ばしたり円めたり、耳を附けたり又とったり致すのをよく見受けま・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・それでも、まだ素朴な感傷でだけ結果的にそれにふれている尾崎氏よりは山本氏の記述の方が事件の背後の錯綜にふれ得ているのである。 作家が社会化し、大人になるということは単に踏む土と聞く音が変り、異常事の只中に在るというだけでは尽されない。そ・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
出典:青空文庫